象潟や

1689年は 芭蕉 46歳   西行の500回忌である。

古典世界の吟遊詩人トリオは、西行、宗祇および芭蕉の3人だ。

1689年、芭蕉は西行と宗祇の2先輩を追って旅に出た。

現代の旅人、われわれの旅がそうであるように、芭蕉の旅もまた追体験の旅だった。

  年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山   西行

  世にふるもさらに時雨のやどりかな           宗祇

  世にふるもさらに宗祇のやどりかな           芭蕉

1689年5月16日(旧暦)に

芭蕉は、江戸深川を発ち、約5ヵ月後の10月初旬に旅の終わりの大垣にたどり着いた。

「おくのほそみち」に旅立つ際も、「古人も多く旅に死せるあり」と、

恐らく、旅ごとに、生きて帰らぬという覚悟だったと思う。

芭蕉は、52歳で、大阪にて客死する。

「おくのほそみち」で、

芭蕉の主な目的地は、「松島」と「象潟」だった。

ところが芭蕉は、「松島」で、句を残していない。

そのため、「象潟」は芭蕉にとって、リベンジの句だと思う。

 

象潟や 雨に西施が 合歓の花  芭蕉

 

福島民友新聞によれば>>>以下引用

 国道7号と山裾の間の枯れ野に、小ぶりな丘が無数にある。

かつて入り江だった象潟は、1804(文化元)年の地震で隆起し陸になった。

点在する小丘は、すべて当時の小島だ。さらに遠景には、

鳥海山を盟主とする山並みがそびえ、振り返ると日本海。

巨大で現実離れしたパノラマを完成させている。

この心を騒がす風景を、芭蕉は美女にたとえた。

 象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花

象潟の美景の中、雨にぬれる合歓(ねむ)の花は、

眠りについた西施の面影を彷彿(ほうふつ)とさせる、の意。

西施は、越の国から呉の国王に献上された 中国古代の美女のことだ。

芭蕉はこうも記す。「象潟は松島に似ていて、また違う。松島は笑うようで、象潟は恨むようだ。

その土地の趣は(悲しい境遇の)美女が憂いに閉ざされているようだ」と。

確かに、先刻までの青空がうそのように降り出す小雪の中、

田んぼになった昔の島々の間を歩きながら見る風景は、

憂い顔の美女を思わなくもない。>>>引用終わり

「憂い顔の美女」といえば、

花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世に降る 眺めせしまに    小野小町

を想い出す。

そして、「顰に倣う(ひそみにならう)」という言葉の意味を、知っている人は多いだろうが、

その語源が、西施だったと、僕はつながった。

きっと、小町の「容色の衰え」とは、また別の悩み・・・

呉王夫差御成り(寵愛)がないとか、頭痛・腹痛・リウマチ・痔とか、纏足の足が臭いとか、

このまま一生を終えるのはいやだとか、自由に遠くへ行きたいとか、、だろう。

 

西施は、西湖に身を投げたとかや。

 

 

 

記 野村龍司