水銀毒の次は、リン・砒素について

前回の、東京オリンピック1964の際、日本人選手の髪の毛から、

比較対照の外国人選手に比べて、2倍程度の水銀が検出され、

マスコミを騒がせたという事件があった。

これは、当時日本で農薬に使用された、酢酸フェニル水銀だった。

酢酸フェニル水銀は、稲のいもち病を防除する目的で、農薬として

使用されたものが、日本人選手の髪の毛から検出されたものだ。

酢酸フェニル水銀のように、ベンゼン環に配位した水銀は、吸収が悪く、

メチル水銀に比べて、急性毒性が低いために、健康被害の報告はなかったのだが、

水田に撒かれた農薬は、生物や紫外線の分解でメチル水銀に変化するという研究結果もあり、

工業化学は、鉱工業で使った水銀を、環境中に放出しないような

クローズドシステムの構築をしていった。

その結果、水銀を使用した農薬の製造を中止し、水質汚濁防止法を施行して、

水銀を、印鑑の朱肉・鏡・蛍光灯や体温計に使わなくなり、

赤チンも製造されなくなるなど、代替技術の開発も進んだ。

 

 

 

酢酸フェニル水銀の代わりに農薬に使われたのは、有機リンである。

hosphorus(リン)を使った農薬は、

毒入りギョウザ事件2008で有名になったメタミドフォス

地下鉄サリン事件1995で有名なサリンが、有機リン系の毒物で。

スミチオン・マラチオン・プロチオフォス・プロペタンフォスなどの殺虫剤がある。

毒性は、「アセチルコリンエステラーゼ」という

神経の伝達に関係する酵素を邪魔して「神経の正確な伝達」を撹乱する。

過剰に神経が「興奮」した後、「麻痺」することで、

「殺虫作用」を発揮していると考えられている。一種の神経毒だ。

リンは、人体にもリン酸カルシウムの形で、骨に多く含まれ、

ビタミンDは、カルシウムをリン酸カルシウムの形で摂りこむので、重要だ。

必須元素だが、周期表にある元素の中で唯一、発光するのがリンだ。

死体から、リンが抜けて発光する瞬間が(幽霊やエクトプラズマとして)目撃されることがある。

発光する際のPH3:水酸化リン(英: phosphane)は、無機リンだが猛毒だ。

ATP(アデノシン三リン酸)は、体内で、エネルギーの通貨としての役割があると、

読者は、高校で習ったことを覚えているだろうか?

ATPの役割 

ATPはエネルギーを要する生物体の反応素過程には必ず使用されている。

ATPは哺乳類の骨格筋100 gあたり0.4 g程度存在する。

反応・役割については以下のものがある。

  • 解糖系 – グルコースのリン酸化など
  • 筋収縮 – アクチン・ミオシンの収縮
  • 能動輸送 – イオンポンプなど
  • 生合成 – 糖新生、還元的クエン酸回路など
  • 発光タンパク質 – ルシフェラーゼなど
  • 発電 – 電気ウナギに見られる筋肉性発電装置
  • 発熱 – 反応の余剰エネルギーなど

リン酸基の付加は、リン酸基転移酵素(キナーゼ:ホスホトランスフェラーゼ)によって行われる。

また、ATP そのものも RNA合成の前駆体として利用されている。

また一方で、ATPは抑制性神経調節性伝達物質でもあり、

活動電位に反応して神経から放出され、効果器に影響を与える。

まとめると、リンは生体に必須の重要な元素だが、化合物には、猛毒のものがある。

 

周期表で、上下にあるものは、性質がよく似ている。

          例:銅、銀、金  

      ハロゲン・・・ふっ素F、塩素Cl、臭素Br、ヨウ素I・・・ 

      不活性ガス・・・ヘリウムHe、ネオンNe、アルゴンAr、キセノンXe、ラドンRd

      そして、・・・リンP、砒素Asは、上下の関係にあり、

砒素Asも昔から、リンPと同様に、毒として知られていた。

ヒ素(「砒素」:As)は、原子番号33、原子量74.92の元素で、

灰色、黄色、黒色の3種類の同素体を持っている。 

英語による名称は「arsenic」だが、この由来は色々とあり、

「猛毒」を意味するギリシア語とか、

ヒ素化合物で「雄黄(ゆうおう)」という硫化ヒ素(AsS)の事を意味する

「Arsenikon(この言葉自体には「激しい作用を持つ」という意味がある)」とか、 

性質は、周期表の真上のリンに似ているが、空気中では安定。 

現代では、有機化合物の合成・半導体原料・および合金原料として使用されている。

しかし、これは一般に勘違いされているが、

ヒ素その物(単体)の毒性はさほど高いものではない。 

その他3価、5価の価数(原子の手)のものがあり、

5価の物も比較的毒性は高くない。 

実は、一番高い毒性を持つのは3価の「ヒ素化合物」だ。

つまり、「単独のヒ素」ではなく、

他の元素とくっついた化合物の毒性が高いという事だ。

そして、その3価のヒ素化合物の代表として、

比較的入手のしやすい亜ヒ酸As(OH)3:示成式がある。

亜ヒ酸H3AsO3の立体構造式

亜ヒ酸H3AsO3の分子モデル

 

砒素についての有名なエピソードを一つ。

時は16世紀のヨーロッパ。南欧、イタリアの南部にて、

南イタリアの東海岸にある港町バリに、一人の老女が住んでいた。

名前を「トファーニア(トファーナ)」と呼ぶこの老女、

バリの守護聖人(がちがちのキリスト教地域である)ニコラウスの

「御利益」のある水として、「アクア・トファナ」「トファナ水」という物を配付していた。

曰く「肌が白くなりますよ」・・・と、つまり、美顔用化粧水として渡していた。

この「化粧水」、またの名を「聖ニコラウスのマナ」とも呼ばれ、

ガラスの小瓶に詰められて貴婦人達に販売し、

これがまた流行となるぐらいよく売れたというのだが、

さて、当時は「神様絶対」の御時世。

カトリックがヨーロッパにおいては絶大な権力を握り、そして信仰されていたころ。

結婚すれば神に誓い、そして「生涯伴侶は汝一人」と、「絶対の」神に誓っていたころ。

そして、ここは「法皇のおひざ元」数日歩けばヨーロッパカトリックの総本山があるところだ。

よって、離婚なんてものは簡単にできるものではなく、

よほどの事が無いかぎりは不可能だった。

つまり、「神様がお許しにならないと」離婚は出来ない。

では視点を変えて、これを購入する上流階級の貴婦人方・・・

事情は結構あるようだが基本は一緒で、

結婚はしたもののやれ戦だ、やれ政治だで旦那はいない。

いても思ったよりも「つまらない」人物で嫌だ。 

で、そこで「恋人(=愛人)」が出てくるわけだが、 

この「恋人」は話し相手になってくれたりして、自分の寂しさを紛らわしてくれる。

と言うわけで「何で今の夫と結婚してしまったのだろう」となっていく、 

で、離婚はしたいが、上記の理由でとてもとても出来るものでは無い。 

しかし、旦那が邪魔である・・・と、

以上の様な貴婦人方がこの「化粧水」を購入していった。

では何故、この「化粧水」なのか?

この「トファナ水」。実は中には「亜ヒ酸」という毒が入っており、

これら邪魔な旦那方を、天国に送りだす為に使用する!

という目的で使われた。※立派な犯罪だ。

こうして「邪魔者」を消した貴婦人方は、果たして幸せをゲットできたのか・・・? 

さて、この「トファナ水」。結構長期間ヨーロッパに出回ったとされている。

その期間から最初はこの老女が「長命の魔女だったのでは」という様な事が言われたそうだが、

最近になって実は3代に渡って「トファーニア」がおり、需要に応えたといわれている。

で、やたら(浮気女による殺害で)未亡人が大量に出るに及んで、

法皇庁や王国がこの(何代目かは不明)トファーニアを捕縛、処刑したのだが、

流通量はちっとも減らなかったといわれている。

つまり、上記の「トファナ水」は、この「毒:亜ヒ酸」を結構な量 含んでいた。 

そして、最も暗殺などの殺害用に使用されたのがこの化合物:亜ヒ酸だった。

しかし、亜ヒ酸は殺害用だけでなく使用されていた。

 

一番有名なのは「いたづらもの」・・・つまりネズミの駆除用に使われた、

いわゆる「石見銀山」がある。 

これは江戸時代を通じて使われ、後に黄リンを用いた「ネコイラズ」が出るまでは

殺鼠剤の主力だった(ただし、日本でもこれを用いて人間を殺害した例がある)。

この亜ヒ酸の製法だが、通常、硫砒鉄鉱

(りゅうひてっこう:FeAsS)という鉱物を砕いて粉状にし、

水でこねて団鉱を作って焼く。 すると、無水亜ヒ酸が白煙状になって出てくるため、

これを冷却すると、白い粉末状の亜ヒ酸を得る。

以上の工程から亜ヒ酸を得ることが出来る。 

この製法は「亜砒焼き」と呼び、日本でよく使われた方法だ。 

さて、この「亜砒焼き」、 上記のように「日本でよく使われた」方法だが、

これにまつわる話がまたある。

宮崎県土呂久(とろく)に鉱山がある。 

昔は銀山として栄えたのだが、後にヒ素鉱山として発達した。

1918年から1971年まで約50年間操業が行われた。

さて、ここで行われていたのは上記「亜砒焼き」で、

硫砒鉄鉱を砕いて水を加えて団鉱を作るためにこねる。

それを、こぶし大の団鉱を釜で焼くと出てくる気体の亜ヒ酸を煙室に導いて

冷却すると結晶状の粗製亜ヒ酸ができて来る。 

では、これに関わった人たちはどうなっているのか?

こねるのは人の足で、婦人達が団子を作り、釜焼きは男の仕事だったが、

おしろいを塗ったり、手ぬぐいをしたりするぐらいの対策

残念ながら、実質「無防備」の世界で、

働いて行った人たちは次々と砒素中毒で倒れていく。

そして、煙突から出てくる煙の中にも多量の亜ヒ酸が混入しており、

風下にあった登呂久部落全体は亜ヒ酸によって「雪が降ったような」状態になる。

しかし、そこは戦前日本であり、「お国のために」鉱山の操業は関係なく継続し、

亜ヒ酸は医薬品、化学兵器として大量に使用され、ついに日本はその輸出国となる。

その結果、この地域で死んだ(戦争、事故は除く)92人の平均寿命は39歳といわれている。

 さて、この被害者の一人が詠んだ歌がある。

    • ああ怨念の鉱山よ登呂久川よ
    • 今は魚も替えるも影一つ見せない
    • 喜衛門屋敷の人達のように
    • 次々と死んだ数十人の友達

上の喜衛門一家は、7人の家族だったが、鉱山で働いて家族が次々と倒れ、

最後は血を吐いて果ててしまい、ついには一家全滅になったとわれている。

高度経済成長期の間まで見られたこの手の話が、この宮崎県登呂久にもあった。

ペストを防除するために、殺鼠剤として使われた例が多い筈だ。

 

和歌山毒物カレー事件1998(平成10)年7月からは、もう23年も経つが、

4人死者が出ていて、死亡原因は、夏祭りでカレーに添加された亜ヒ酸である。

僕は、林死刑囚の家があった場所(和歌山市園部)を見に行ったことがある。

犯人の動機が不明で、物証がなく、状況証拠だけで、死刑判決を下したという

日本犯罪史上、特異な事件だ。

この事件を契機として、シロアリ駆除剤亜ヒ酸を使わなくなった、

会社が従業員を被保険者にした生命保険の、死亡保険金の受取人を会社にすることが禁止され、

生命保険に加入する際は、必ず本人の同意が必要となるなど、事件の波及効果は大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『悲素』 新潮社  by箒木蓬生

不確実性の時代  過去ログ

からむこらむ その8、26

 

 

 

 

 

記:野村龍司