除夜の鐘  

左から、OさんSさんK子さん(タイムキーパー)僕(回数記録)・・・2020.12.31

108つ 除夜の鐘は、20秒間隔で撞くので、

3回/分(60秒あたり3回)撞くことになる。

108回/3回/分=36分 なので、

12月31日の23時24分から撞き始めると、

1月1日の0時0分0秒が108回目となる。

4分間の余裕を持って、23時20分から撞き始め、

90回ぐらいから、スローに調整して、

元旦0’ 0”が108回目となるように撞くのが恒例となっている。

交代で撞き終わったら、住職*1に新年の挨拶をして、

皆で年越そばを頂いて、1時ごろに帰る。

僕の実家から直線で、1kmなので、子供の頃に聴いていた除夜の鐘は、この鐘だった。

毎年やっていると、帰省の目的のひとつになる。

 

あらたまの 年の初め 

皆様 明けましておめでとうございます

 

年初の富山県は、観測史上最高記録の積雪があった。

コロナではなく、積雪が原因で、富山県の県立高校すべてが休校になり、

旧JR:あいの風鉄道及び富山地方鉄道本線が運休。

積雪と除雪ができていない事を理由に、多くの飲食店が休業した。

スーパーには、物流が滞って、生鮮食料品が少ない。

道路の除雪を、道路管理者が専用の重機で行うが、

道路から、駐車場や各戸への取り付け道路の除雪は、

各戸の仕事で、結構 重労働だ。

僕は、元日から11日まで、ほぼ毎日、雪除けをしていた。

多い時は、8時間ぐらいスコップで除雪する。

普段から、多分に漏れず 運動不足で、身体のあちこちが筋肉痛になるが、

僕は子供の頃から習慣的に雪除けをしていたし、

学生の頃に、身体を鍛えていて、筋肉量が多い

疲労・筋肉痛を覚えても、肉刺マメが出来ても破れても、

かまわず 雪を(スコップで)投げ続ける。

気温は0℃前後だが、身体を動かすことで、湯気が上がるほどに、汗をかく。

自分で築いた雪の山を越えて、さらに高く遠く雪を投げる全身運動だ。

この運動は、手のひらが肉刺マメだらけになるという意味

潅木の伐り払い」や「ボート競技(レガッタ)*2に通じる。

運動(雪除け)で体が温まり、寒さが運動の後押しをしてくれて、

汗がすぐに乾くので、クールダウン時は、夏よりも気持ちがいい

ひたすら続けていると、除夜の鐘以上に煩悩が晴れる気分

単純な全身運動の繰り返しをする間、他のことを忘れるだけでなく、

成果や進度が目に見えるので、よい。

 

この気持ちの良さは、マッスルメモリー(筋肉が運動や形状を記憶している事)にも拠るのだ。

この年になって、初めて経験する(故郷富山の)豪雪のおかげで、

除雪潅木伐払・ボート競技の共通点を見つけた。

僕は、割と人生経験をしているみゃーらくもんで、やり残したことがないので、

新型インフルで、突然、死神のお迎えが来てもいいと思っている。

それでも、「寒中に全身運動する気持ち良さ」を発見するほど、

生きるということには、新鮮な発見がまだまだある。

 

本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます

 

*1

ノーベル化学賞田中耕一さんの小4~小6の担任。

田中さんの(田中さん談)で、

富山県の教育長を9年間務めるなど、県教育界の重鎮。

ノーベル賞受賞後最初に、小4~小6の担任を恩師と称えるというのは、

本当に人生を左右するほどの恩義を、感じているのだと伝わるだけでなく、

田中少年が、科学に向くきっかけを作ったことが解る。

僕は、田中さんと同じ高校に同時期2年間通っていた。(僕が一学年早い)

その2年間は、長嶋巨人最初の年6位と2年目優勝の時だ。

住職の長男は今年度:第63次南極越冬隊隊長

大晦日は南半球の夏で、南極越冬はオフシーズンなので、

僕は一緒に鐘を撞いたことがあるかもしれない。

*2

例年は七月開催で、七夕レースと言われるのだが、

この度の 第71回レガッタはコロナの影響で、12月19日に無観客で開催されたようだ。

僕が8+BOWを漕いで、全18人のトップでゴールしたのが、

第29回だから、42年と6ケ月も昔の出来事だ。

童謡「赤とんぼ」の、一人称が幼いころ

子守の姐やに背負われて見たという郷愁の歌:赤とんぼのように、

いつの日か=追憶の景色になってしまった。

しかし、人間は皮肉に出来ている。

ボートを漕いで、健全な肉体をひたすら追求していた若かりしころ、

僕は、さまざまな煩悩滅却することが出来なかった。

健全な肉体を獲得したところで、健全な精神が勝手に伴うものではないことを

その間で、随分思い知らされる。

 

 

 

死にゆく妻との旅路」by清水久典 新潮文庫2003

高度成長期、縫製一筋に生きてきた私は小さな工場を経営し、苦しくとも充実した日々を送っていた。

が、中国製の安価な製品が容赦なく経営を圧迫し始める。

長引く不況、膨れ上がる借金。万策尽き果てた時、私は妻のガンを知った……。

「これからは名前で呼んで」呟く妻、なけなしの五十万円、古ぼけたワゴン。

二人きりの最後の旅が始まった――。高山文彦氏絶賛の、鎮魂の手記。

僕は、本しか読んでいないが、映画(2011年)にもなっているようだ

は、破産・服役後、肉体労働の職を得て、がむしゃらに働いて汗をかく……。」

というエンディングに、不思議な清清しさと、明るさを感じた。

いやや 病院に行きとない」と妻の言うがまま、

それは、お金がないので医療を受けられないと思っている妻の韜晦(トウカイ)なんだが、

「私」がその韜晦に便乗し、妻を死ぬまで病院に連れて行かなかったことへの贖罪でも、

医療を受けず、終にガンで死んでしまった妻への鎮魂Requiemでもなく、

つまり、今日も生きている明日からも生きていかなくては、という

「私」の諦念覚醒に、共感するのだ。

 

僕は62才になって、永年離れていた故郷を想いつつも、

帰省した際の大雪に驚き、ひたすら雪を投げ続けることは、

その間で、随分古びて傷んだ懐かしい実家や、母のケアを充分しないまま、

年相応に老い衰えてしまった母に対し、どこか申し訳ないという気持ち(贖罪意識)の表れでもあり、

それは「今日から、そして明日からも、生きていくんだ」という気持ちを確認する作業でもある。

 

 

韜晦(トウカイ)とは、本心をごまかすこと。

病院に行って、なけなしのお金を使いたくない、

生まれたばかりの赤ん坊をかかえて、健気に所帯を営んでいる娘にも、お金で迷惑をかけたくない。

足手まといになるので、ガンの切除手術も、延命治療も受けなくてもいい。

とにかく、ふたりだけで借金取りからの逃亡生活を、死ぬまで続けたい、、、。

しかし、恐らくそれは本心ではない。

本心の言葉は「痛い、苦しい、辛い、死ぬのは怖い、生きたい」だと、分かっている。

妻は、見る見るうちに衰弱して行き、死が目前に逼っているのが判る。

韜晦(本心ではない言葉)と知りながら、「私」は保護責任を放棄して、

破滅と死に向かって、二人/車一台の路上生活を続ける、、、。

読者は読み進める内、どこまでも奈落へと落ち込んで行く中年夫婦に、

もどかしさと共に、少しの共感を覚える。

もどかしさとは、一刻も早く病院に行って治療を受けさせない「私」の優柔不断

もし、自分が同じ立場に置かれたら、妻のようには振る舞わないだろうか、

「私」のように逃避行を続けるのではなく、悲惨な現状を打開できるだろうか、

と自問した上で、少しの共感の正体について考える。

韜晦は(オブラートに)包むことで、韜晦大晦日晦(くらい)。

その共感の正体は、ぬばたまの闇の、 現在を一筋の光明を求めて生きている

自分の本心、心の奥を見つめるという事、ではないだろうか?

しかし、「私」は いくら心の奥を見つめても貧窮の所以か、解答が得られず、

妻が、末期癌で死亡するに及んで、せめて葬式をしなければと、

現実に戻って覚醒し、葬儀代を借りるために、知人を訪ねた所で、通報逮捕される。

ことここに至って初めて「私」は、借金(金利取立て)と妻の病魔という二重苦から解放される。

自己破産するということには、借金からの開放という意味があり、

家族が病死するということは、苦しみに寄り添ってきた自分も同時に、

その苦しみから解放されるということだ。

二人だけのだとか、贖罪とか鎮魂というきれいごとではない

煩悩からの開放がそこにある。

 

 

記:野村龍司

 

 

 

追記

死にゆく妻との旅路」の主人公:清水氏は1947年生、元縫製工場経営者。

妻は11才年下で、1998年12月死亡、享年41。

1998年3月からワゴン車1台で路上生活を送るが、同年12月、妻が末期大腸癌で死亡。

葬儀代を借りるために、知人を訪ねた所で、通報逮捕され、

9ケ月間の逃亡闘病生活は、終わりを告げる。

映画では、三浦友和と石田ゆり子というキャスティング。

 

 

 

 

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