東風三題

東風三題

あさこち の譜

萬葉集 巻十一 2717番 不詳詠人

朝東風に 井堰(ゐで)越す波の 外目(よそめ)にも 逢はむものゆえ 滝もとどろに  

現代語訳:

朝の東風が強く吹き、波が高くなってきた。波が堰を越して滝のように流れ出ているよ。

あの人には、まだ遠くからでも、会ったこともなく、プロポーズを受け入れたわけでもないのに、

噂ばかりが、滝もとどろくばかりに立ってしまって……。

とあり、「朝東風」は、台風接近による時化のようだ。

あゆのかぜ の譜

萬葉集 巻十七 4017番東風(あゆのかぜ)  大伴家持

東風あゆのかぜ いたくくらし 海人あまの つりする小舟をぶね かく

現代語訳:

北東の風がひどく吹いているようだ、(沖の方で)奈呉の漁師の釣りをする小舟が見え隠れしている

奈呉=那呉=なごは、現在の新湊あたりの地名。

那呉の浦は、放生津潟のことで、8c.ごろは、現在よりも内陸に大きく深く入り込んでいた。

↑ うねりは、東風あるいは海風によるものではない。

東風吹かば の譜

『拾遺和歌集』   菅原道真(=菅公)作 

東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主無しとて 春な忘れそ

現代語訳:

春風が吹いたら、匂いを(京から太宰府まで)送っておくれ、梅の花よ。

主人(菅原道真)がいないからといって、春を忘れないでくれ。

山本健吉によると>>>以下引用

」は元来、瀬戸内海沿岸を主とする海上生活者の言葉だった。

『もともと風の名を必要とし風の方向、強弱、寒暖

その他の性格を微細に言い分ける必要を持っているのは

貴族でも農民でもなく船乗りや漁師たちなのである。

貴族達が風流気からその名を口にしているのに対して

彼らは生死を賭けた生活の知恵としてそれを口にするのである。

能登の珠洲(すず)あたりで「あえのこと」と言われる

古風な新嘗の祭が今も行われておりこの「あえ」に「饗」の字をあてている。

田の神によってもたらされた珍味佳肴の「あえ」だが、

同様に「あゆ(あえ、あい)の風」とは沖から珍宝をもたらす風なのである。

風によって浜辺に多くの魚介類や海藻類などの

食物や木材その他の漂流物も吹き寄せるのである。

船が港に寄ることも、それが財宝を落としてゆくもので寄り物の一種だった。

だからその風は「いたく吹く風」であり強吹(こわふき)であるほど多くの珍宝をもたらす。

そういう古い風の名がいまだに生きていて漁民たちの生活の中に使われているのである』

『万葉の無名の作家が詠んだ朝東風はまだ漁村の生活の匂いがどこかに漂っていたかもしれない。

菅公が歌に用いたとき、この言葉にまつわりついていた漁村の潮の香や

たくましい生活者の匂いはすでに発散されてしまって

堂上貴族達の弱々しい美的生活の中に融けこんでしまった。

常民の生活の必要が生み出した言葉が貴族達のただの風雅の言葉化してしまった。

言葉がその持っている生活基盤から引き離されて文人墨客のもてあそびものになり

風流韻事としてしか意味がなくなったときその言葉の生命はどうなるか。

こういう言葉の運命と言うものを「東風」と言う言葉は私たちに考えさせてくれる。』

(「ことばの歳時記」文芸春秋社)>>>引用終わり

 

僕は、高校生の時にこの文章が、国語のテストに出たのを記憶しているが、

はっきり行って、内容が読むに耐えない。

文人墨客のもて遊びをしているのは、山本の方だからだ。

萬葉集巻十一 2717番東風(あさこち)にして、

すでに貴族・文人墨客のもて遊びでしょ。

詠人不詳だからといって、無名の民と言うのは、皮相な見方だと思う。

僕の想像だが、不詳詠人というのは、身分の高い人で、

上で、山本健吉が言うような漁村の民ではない。

海は須磨~住吉のあたり。

井堰は、公共土木工事の産物で、海岸の防波堤のことだろう。※『堀江の開削』ではないか

不詳詠人というのは、単に、実名を出すことが、憚られる

相当に高貴な身分ということではないかと考える。

万葉集の時代に、読み書きができて、歌を詠むだけでもかなりの知識人だ。

僕は、萬葉集 巻十七 4017番 不詳詠人=藤原宮子

(文武天皇の妃=聖武天皇の母、紀州の海人出身、藤原不比等の養女)ではないかと考えている。

 

山本は上で、饗の風と田の神信仰を併せて、

海の幸山の幸で「饗のこと」という収穫祭が残っているという。

そこは、山本の論考の中で、唯一肯定できる所だ。

田の神信仰とは、水田への水の供給が、毎春途切れない事を有難いと称えるのであって、

海からの贈り物であるあいの風とは、逆向きの、山からの贈り物だ。

家持で言えば、とこなつの譜だ。

立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からなるらし

 萬葉集  巻十七 4001番 大伴家持

田植え時期に、大量に必要な水が、夏でも雪渓(万年雪)として湛えられている事は、

稲作をする上で、誠に有難い神からの贈り物で、安心の安定供給だ。

越中には、農業用ため池がほとんど(要ら)ない。

家持は奈良出身なので、初めて、くっきりと立山連峰が見えた時は、その景色にいたく感動した。

国司として豊作を祈る際、折々に立山を仰ぎ、

神からなるらしと感じ、拍手を打って拝んだはずだ。

田の神信仰は、奈良の三輪山や、

近江湖南アルプスの山々を讃えて、田の神と言うのが正統classicだろう。

この感覚や意味は、稲作農耕民族が、極めて自然に感じる山への畏敬で、

問答無用ではないか?

 

菅公の、東風吹かば、、、の譜は、太宰府に対して、

京(みやこ)が東にあるというだけの、文字通りの使い方に過ぎない。

菅公は 京を出立する際、これを詠んだので、

実際に、京九重(けふここのへ)の梅香が、太宰府に届くと思っているわけではなくて、

これは「京去りがたし」という叙情詩だ。

「東風」を象徴的に、太宰府から京の方角:directionを伴って使っている事は、

山本健吉も解っている筈だ。

萬葉集の家持及び不知詠人「あさこち」の2首と菅公の譜は、いずれも「東風」を充てるが、

それぞれ全く違う状況で異質なものなので、山本が同列に論じることには賛成しかねる。

たったの3例だけで、東風という言葉を論じる事に無理がある。

そして、決定的なのは、

家持不詳詠人山本健吉も、海風・季節風のメカニズムを知らない。

実際、海風は風速0.1~0.5m である。

 

東風は、以前あいの風とは何ぞやにて、海風の事であるという説を立てたのだが、

以下、from dictionary

角川俳句大歳時記」には、

「日本海沿岸地方で広く使われている季語の一つ。夏の穏やかな北風」。夏のそよ風とも。」

と書かれている。

※角川さんは、富山市水橋出身なので、北風になる。

大日本百科辞典」では、

「饗(あい)の風。夏、日本海側で沖から吹く穏やかな北風。魚貝・海藻などを吹き寄せてくれる。」

と書かれている。

※「角川俳句大歳時記」を引いたのか、北風になっているが、海風だと理解していたら、風向きを入れないほうがよい。

デジタル大辞泉」では、

「日本海沿岸で、沖から吹く夏のそよ風。あい。あゆ。あえのかぜ。《季 夏》」と書かれている。

※風向きが入っていないので、「デジタル大辞泉」が最も的確だ。

実際、日本海側で吹く海風は、北風〜西風だから、東から吹くのは、氷見・和倉〜珠洲だけ。

 

 

 

過去ログ

あいの風とは何ぞや

あいの風に吹かれて

日本で最初の公共土木工事

記:野村龍司