東風 いたく吹くらし 奈古の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ
東風越俗語東風謂之
安由乃可是也伊多久布久良之 奈呉乃安麻能 都利須流乎夫袮 許芸可久流見由
・・・・(萬葉仮名)巻十七 4017番 大伴家持
東風(あゆのかぜ)は、越中の土地言葉(dialect)である。
北東の風がひどく吹いているようだ、(沖の方で)奈呉の漁師の釣りをする小舟が見え隠れしている
「奈呉」=なごは、現在の新湊あたりの地名らしい。
「きびなご」とか「いかなご」は、小魚(こざかな)の古称=小魚(なご)だから、
なごの海って、小魚(アジ・イワシ・サヨリ・ホタルイカ・イシダイ・カワハギ・ミギス・沖の女郎・シロエビ)の獲れる海でしょ。
萬葉集は、古来、契沖・荷田春満・賀茂真淵など、錚々たる国文学者が、研究解釈をしていて、
上の、北東の風がひどく吹いているようだ という現代語訳が、定着している。
風向きや現代語訳は正しいのだが、異議がある。
「舟が見え隠れするほどの激しい風が吹いているようだ」という部分に、違和感があるのだ。
「あいの風鉄道」というのがあって、その鉄道の名前の由来となっている「あいの風」は、
文献で、万葉集 大伴家持 巻十七4017番が、初出であり、
現在の新湊・高岡・氷見あたりの、海から吹く風のことを言うのが、定説だが、
天気のいい日、海と陸の比熱差が産む海風(かいふう)だと考える。//
日が昇ると、温まり易い陸地の気温上昇が早く、海面の気温上昇は遅いため、
比熱差が温度差を生み出し、地表では、海風となる。
僕が小学生の頃には、海風陸風(うみかぜりくかぜ)は理科の教科書に載っていたが、
ゆとり教育の現在では、海風陸風(かいふうりくふう)を中学校2年で教えるようだ。
海風とは、コトバンクより>>>以下引用
海陸の温度差が原因となって、日中に海から陸へ吹き込む風。
上層では、これと逆向きの流れがある。
海風の地上から鉛直方向の厚さは一般に低緯度地方で厚く、風は強い。
高緯度地方では薄く、風は弱い。
日本では普通 500~700mの厚さがあり、内陸へ約 30km吹き込む。
4~5月に移動性高気圧に覆われたとき、および 7~8月に太平洋高気圧に覆われたときによく発達する。
>>>引用終わり
内陸へ約 30km吹き込むということは、富山平野最奥迄、吹き渡るほどであり、
南は、山田村牛岳スキー場のリフト最上部まで達する筈。
滑川・魚津・黒部では、西風となり、入善町・朝日町あたりでは、北風だろう。
陸海の比熱差が産み出す現象なので、春風駘蕩、ホタルイカが寄せ来る季節、
蜃気楼の立つ春から、梅雨時を除き、稲田が実るころ、稲穂を揺らして押し寄せる
あいの風は、穏やかで爽やかな海風である。//
富山湾は、深い藍色をしていて、急峻に落ち込む地形を、藍甕(あいがめ)に喩えられる、
Wind is blowing from the Aigame. ~~~女は海~~~
そこから吹く風で、海の幸(饗:あえ=御馳走=ごっつぉ)をもたらすので、
あいの風の「あい」は、藍と饗の掛詞ではないか?
富山湾は急斜面で、最深部は、-1000mになる。
日本三大深湾(東京湾・駿河湾・富山湾:深さが1000mに達する)のひとつで、魚種が豊富。
立山連峰の海抜3000mとの落差が4000mと著しく、世界的に珍しい急斜面地形といえる。
富士山~駿河湾も落差が激しいが、富士山が独立峰で、駿河湾との関係が南北であるのに対し、
立山連峰は、南北に連なっていて、富山湾と東西の関係で、偏西風をまともに受ける屏風のような形だ。
チリ沖とアンデス山脈が、世界一激しい急斜面地形で、チリで風力発電をしたら、世界一の風力発電源になるだろう。
さても、契沖・荷田春満・賀茂真淵 たちは、
越中に滞在したことがあるのだろうか?
そして、小舟で海に出たことがあるのだろうか?
恐らく、家持(越中に5年滞在)も、小舟で海に出たことがないのだろう。(北斎翁は、出たことがあるかも)
僕もないが、学生のころボート部で、エイト(9人乗り、全長17m)を、漕いでいた。
偶に、琵琶湖汽船が、瀬田川に入ってきて、石山寺港に寄るのだが、
50トンクラスの汽船でも、航跡の波高は、50cmもあって、
エイトは舷(ガンネル)が低い(15〜25cm位)ので、波に対して垂直に進むと、浸水してしまう。
なので、その都度パドルを止め、舟を波に平行に保って、オールのブレードを水平に沈めて、
航跡の波を、遣り過ごさないといけなかった。
おそらく、奈呉の海人の小舟も、寄せ来る波に、舟を平行に保つので、舟が見え隠れするのだ。
そろそろ、本題だが、この波の原因は、琵琶湖汽船ではなく、家持が眼前想像したあゆの風でもない。
富山湾独特の寄り廻り波(うねり)である。//
舟が見え隠れするので、家持も「いたくふくらし」と詠んだのだが、
実は、宗谷海峡(or間宮海峡)あたりを端緒とするうねり波浪で、
無風でも、波高は10mに達する。
寄り廻り波は、津波に似ていて、河口に続く海底のV字谷で増幅し、
湾奥の底瀬を抉りながら、押し寄せる。
現代富山県人でさえ、かつて甚大な人命被害をもたらした寄り廻り波🌊を知らない人がいるので、
家持が知らないのは無理も無い。
家持の「いたくふくらし」の「らし」は、伝聞ではなく、現在・原因推量(離れた場所の現在)だろう。
つまり、「しづこころなくはなのちるらむ」の「らむ」である。
家持からは、小舟が見えていて、波が高い原因は、
「あゆの風が造波しているのだろう」と推量しているが、おそらく
波頭は、砕けていなくて、うねりの中を小舟が上下しているだけなのだ。
波濤が砕けるのは、風速1m以上だが、海風は風速0.5m 前後である。
従って、あいの風=海風なら、いたく吹くことはない。
北陸徘徊人氏のブログ 「あいの風とはなんぞや」
文中の日経新聞の記者は、新湊あたりに行って、あいの風に吹かれたことがあるのだろうか?
北陸徘徊人氏も、「いたくふくらし」の解釈に違和感があるようだが、
>>>日経社説の「海を荒らす風だ。優雅な風ではない」の一文に思わず吹き出す。>>>
・・・「思わず吹き出す」の説明が無い。
しかし、その違和感(そんなわけないやろという感覚)は、僕にも共通なので、代わりに説明すると、
「『あいの風』って、もっと優しく穏やかな風=海風で、
家持の歌で、奈呉の海の波の正体はうねりでしょ!」という事。//
参考:
僕が18まで育った家(上市の南端)から、最も近い海は、上市川河口の高月海岸だが、
10月~2月ごろの夕方、自転車で高月海岸を見に行くと、無風にも関わらず、
10mぐらいの波が、高さ12mの河口右岸防波堤に、ガンガン押し寄せるのを、何度も見たことがある。
最近では、滑川市民交流プラザ「かじやばし食堂」の西南窓際で10月~2月の夕方、
高月海岸の寄り廻り波🌊を遠望することができる。
僕は、ガラス越しでも、風が強く吹いているのだろう(らし)と、想像したりしない。
「あいの風鉄道」呉羽駅の北側に、日本海側最大の小竹貝塚がある。
小竹貝塚が形成されたころの、縄文時代晩期から、少しづつ海退が進み、
13c.ごろから、さらに海退が進んだという。
小竹貝塚は、現在の海岸線からは、4km内陸だが、
家持の時代は、小竹貝塚から北が、湿地帯(汽水の内海)で、放生津潟だった筈。
海岸線が、海進・海退・隆起や沈降で変わってしまうことは、年月を経る間でよくある。
以下、越中の土地言葉:富山弁
このごろぁ、おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなり(兼好)/
忍ぶることの弱りもぞする(式子内親王)って境地でぇ、
思とっ事を、書き残すことにしたがいぜ。
こいがしときゃ、
いつ死んでも、いいねかよ、、、。
記:野村龍司
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