いつも心にギャンブルを

今回はギャンブラー擁護論です。

まず、法律は、以下のとおり。

 

<賭 博>
刑法第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。

ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

 

つまり法律で、賭博は有罪になることある。と言っている。

ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、

この限りでない=大目に見るのだから、

明確な一線は引いてなくて、グレーゾーンがあり、

緩く取り締まっておりますと明文化している。

緩(ゆる)く取り締まっているということは、

緊(きつ)く取り締まると、弊害があるということ、

厳罰に処する程、悪いことではないということを、

立法者・運用者は、能く解っているのであって、

グレーゾーンがある事こそ、人間社会の智慧というものです。

 

ギャンブル擁護論の展開としては、以下、

1.ギャンブルの効用

2.ギャンブルの害 及び その 論破=論理的破綻を突く

3.そもそもギャンブルとは?

という構成です。

 

1.ギャンブルの効用

人生は儘ならぬ(思い通りにならない)ということを、短時間で鮮やかに、教えてくれる。

素人や初心者にも、勝たせてくれるし、どれだけ研究習熟しても、敗ける。

どれだけ研究習熟しても敗けるのは、人生が案外長く、

すなわち、強いギャンブラーも、常勝のままでは終わらないという事で、

ギャンブルが、結果としてギャンブラーの勤労意欲の源泉になるので、いいことだと思う。

ストレス発散になる。

いっとき完全に 世間の憂さを晴らしてくれる。(よしんば敗けても、勝てば当然に)

ギャンブル好きは、人生を前向きに(勝つことばかり)

考えている人達で、利前というものを理解する人だ。

誘惑に弱いことを自認していて、自分にも他人にも甘い お人好し集団で、

ロクデナシかもしれないが、善人だ。

僕は、ギャンブルで大金を失って、潔く去っていく人を、

仕事好きで意欲的に働く人と同じくらい 尊敬する。

勝つ為に、非常に多くの要素をロジカルに考える必要がある。

数学が発達したのは、狩猟動物を数えるためであったり、

農業のための気象天体観測、そして貯蔵穀物

労働力による徴税・土木建築技術等々もさることながら、

ギャンブルの研究課程で数学が発達したという説があり、

ギャンブルは、数学や論理学の発展に貢献していると思う。

高校の時の数学の先生で、スリーピー岡田という人は、

「確率は、私のライフワークです。」が口癖だった。

あだ名のとおり、昼行燈みたい(ボーッとした顔)だったが、僕らが勝手に、

岡田先生は「きっとギャンブラーに違いない」と、

ウワサしていただけで、実際ギャンブラーだったのかかどうか、知らない。

ギャンブルを前にして、老若男女・人種・社会的地位など、関係ない。

また、カルト宗教占いなどの入り込む余地がない。

カルト宗教」の定義は、抜ける自由がなく、

抜ける時、非道い目に遭わされる宗教のことだ。

「占い」で未来は当たらないので、ギャンブルには使えない。

「当たるも八卦 当たらぬも八卦」という口上のとおりだ。

昔、1978年刊行の「算命占星学入門」「天中殺入門」という本で、

300万部のベストセラーになった和泉宗章(1936~2001年)が、

占いを研究するようになったきっかけは 競馬を当てるためだという。

和泉は「長嶋監督が1980年2月までに辞任する」とした占いが外れたことから、

1980年4月に占い師の廃業を宣言し、自著の絶版も希望したが、

出版社に受け入れられず、印税をもらわないことにした。

その後、占い否定論者に転向し、元占い師としての立場から告発活動を展開し、

「天中殺はない、だまして申し訳ない。」と謝罪までしている。

僕は「占い告発」by和泉宗章という本を持っている。

和泉はギャンブル好きで、自他に正直な人だったと思う。

当然ながら、占い業界からは黙殺され、膵臓癌で寿命が尽きたが、

代わりにマスコミの寵児になったのが、細木数子だった。

マスコミからすると、視聴率が稼げたら、本が売れたら、そして、

危うさ・怪しさを含めたタレント性・カリスマ性があれば、良いので、

占い(細木のご託宣は占いではない)が、当たる当たらないは、全くどうでもいいのだ。

細木数子・和泉宗章 何れも、家元みたいに二代目を名乗る人がいるのが、面白い。

とにかく、占いで未来予測はできないので、

予言も預言(宗教)もギャンブルには使えない。

宗教も占いもギャンブルとなじまないのは、いいことだ。

宗教や占いよりも、ギャンブルの方が論理学上 美しいと言えるのではないか?

スリーピー岡田なら、そう言うかも・・・。

2.ギャンブルの害・弊害

賭博行為が、勤労の美風という善良な風俗・習慣を損ない、国民に働かない怠惰な性格を作り上げる。

って、昔の どこぞの 裁判官か検察官の作文だと思うのだけど、詭弁臭い。

東京高等検察庁検事長だった黒川氏が、賭けマージャンをしたことで、辞職願を出した。

黒川氏は、マージャン常習者だったそうだが、働かない怠惰な性格だったとは考えられない。

法律家だから、当然ロジカルに考える人で、賭けマージャンのレートも¥100/千点と、

一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまっているの(霞が関ルール)は、当然だ。

勤勉なギャンブラーも居れば、怠惰なギャンブラーも居て、

ギャンブルをするために勤勉に働く人もいる。前項①

賭博で財産を失った者が、窃盗や強盗などの別の財産犯に手を出す危険性がある。だから

賭博行為を禁止しなければならないという点を強調する判例もある(最高裁昭和25年11月22日判決)

国民がギャンブルに金銭をつぎ込んで財産を失わないように、国家はギャンブルをする人を処罰することで、

その人の財産や家庭を守ってあげているのだという考えである。

明らかに偽善だろう。

これも、公営ギャンブルによって、身を持ち崩す人がいる以上、偽善の上に詭弁。

刑法では、財産を失うことを、禁止していないどころか、命を失うこと(自殺)も禁止していない。

法に従いたくない人のため、とは限らないが、日本国憲法は国籍離脱の自由も認めている(憲法22条2項)。

ギャンブルを嫌う人は、パチンコも目の仇にしていて、

生活保護の支給日に、パチンコ屋にいる生活保護受給者に注意を促すのだそうだ。これも偽善

そして、大きなお世話 以外の意味を教えてほしい。

僕は、大人には、愚行権(アホな事をする権利)があると思っている。

ギャンブラーは、確信的にギャンブルを常習するために、

他人や身内を騙すのみならず、当然に、自分をも騙す。

ギャンブルをやるために色々な言い訳を用意するし、

敗けた時の言い訳もやる前から用意している。

かくして、その内に本人も、言い訳とウソと騙しの境界がわからなくなる。

これは、他の依存症も同じで、気が付けば二進も三進も行かないという事態もある事は否定できない。

それでも、ギャンブラーはギャンブルのおかげで、多くのものを得たと言う。

時間を失う。

しかし、人生は、壮大な時間つぶしでもある。

ギャンブル依存症

日本では、昨年4月にIR法が可決され、その法整備がすすめられているが、

国会及び分会で、殆どの論点は、ギャンブル依存症対策だという。

タバコ・アルコール・公営ギャンブル・パチンコの依存症には、

これまでほとんど対策をしてこなかったにも関わらず、なんで今更?

いっそのこと、どこぞのカジノのように、

外国人(インバウンド)オンリーにしたらいいのでは?

ギャンブラーが、単身者ではなく家庭をも経営しているとすると、

安定収入は、家庭経営の土台であり、

国家で言えば国家予算および安全保障の問題でもあるので、

時に、大金を投入したりする僕は、

ギャンブル依存症の害にだけは、明快な反論ができない。

自分が、擁護論を書くほどの、ギャンブル依存症だから。

マネーロンダリングに使われる。

世界最大のIR(インテグレイテッドリゾート)は、マカオで、

国を挙げてギャンブルを取り締まっている共産党中国が運営している。

つまり、ギャンブル特区もマネロンも、必要悪ということだろう。

ギャンブルの胴元が儲かるのは、子供でも知っている事実で、

IRでは、テラ銭を低く抑えるだけで、世界中の大物ギャンブラーが寄ってくるのだが、

日本のIR法では、国があまりにも爪を立て過ぎたため、

つまり、ショバ代を上げてしまったので、

ラスベガスのカジノ運営会社が逃げ出した。

これは、ギャンブルを緩く取り締まるという人類の智慧に反するので、

日本のIRなんてマネロンには使えないし、当初掲げていた

マカオやシンガポールを超える、どこにもない魅力的なリゾートを作るという標語は、

早くも掛け声だけに終わりそうだ。

マカオまで飛行機で出かけたほうがマシでしょう。

中国人は、共産党といえども利に聡いので、IRのテラ銭は低く抑えるのだ。

テラ銭は低く抑えるだけで、世界中のギャンブラーが寄ってくるのだから、

ターンオーバー(掛け金総額)が増えて、儲かることを、

立法府与党(自公)は、理解しないわけではないはずなんだが・・・。

「ギャンブルは悪いこと」なので、国家ではなくその下の小集団が、

集団から賭博者(gambling man)を排斥するという事態が起きる。

日本相撲協会は、野球賭博の客だった大関と親方を角界から追放した。

2010年6月、大相撲の元関脇貴闘力大嶽親方は、野球賭博に大金をスッたことが週刊誌で指摘され、

大嶽は日本相撲協会へ退職届を提出するも受理されず

6月29日の臨時理事会と評議員会で特別調査委員会からの勧告案が受け入れられた。

その間力士への賭博調査が行われ、その調査結果を元に、

日本相撲協会では7月4日に臨時理事会を開催し、

大嶽親方は解雇、大関琴光喜は引退勧告処分となった。

日本相撲協会は当初、野球賭博に関与したことを申告すれば、※

厳重注意処分で済ませるとしていたものの、

大嶽や琴光喜は発覚時点で関与を否定していたことや、

二人の賭け金が他の力士に比べて多かったことなどが解雇理由となったとされている。

2010年7月の名古屋場所は、NHKが生中継を断念した。

この時は、他の力士も花札など「少額のギャンブル」をしていたことが、調査で発覚していた為、

「ギャンブルをするような力士の生中継をNHKは自粛するべし」という世論が高まったのだが、

僕の想像では、NHKが生中継を敢行した場合に、

「受信料不払い運動」に飛び火することを虞れた消火活動だったのではないか?

いったい あれは、何の騒ぎだったのだろう。

野球選手が野球賭博に関与していたとか、競馬の騎手や調教師が馬券を買っていたとか、

というのは、インサイダー取引で、アウトなのは、当然で、先例や法の条文にもあるが、

ギャンブルに金銭をつぎ込んで財産を失った、元関脇貴闘力を解雇したり、

ギャンブルに金銭をつぎ込んで財産を失っていない、現役大関琴光喜に引退勧告をしたのは、

彼らの職業を奪うほど悪いことなのか?ということを、再度考えてみるに、

野球賭博が、反社会的勢力の資金源だということと、大金を賭けていた

という技あり×2(+最初嘘をついた)で、合わせて一本(解雇)だったのだろうか?

僕は、角界のみならず、社会を含めたヒステリーで、処分過重だと思う。

結果的に職業まで奪われた、元関脇貴闘力と大関琴光喜の場合は、

本人のために、「ギャンブルをする人を処罰することで、その人の財産や家庭を守ってあげた」

という偽善の論理ではなく、刑法では処分を受けない2人を、

警視庁による任意の事情聴取で賭博への関与を認めたことを根拠として、※

公益法人である日本相撲協会が、世論に忖度して、

国家に代わって、解雇という厳罰を課したことになる。

中学しか出ていなくて、相撲界に飛び込んで、

横綱大関を目標に、裸一貫で苦しい稽古に励んで成功した功労者に対し、

角界追放という処分は、ヒステリック(厳し)過ぎる。

そもそも、彼らがもし、勝負好きでなかったら、相撲で成功していないだろう。

ギャンブルと暴力と麻薬と八百長とを何でも一緒くたにして、

その罪刑の衡量=グレーゾーンの適正な解釈運用および労働者保護ができないのが、日本相撲協会だ。

賭博は罪悪という固定観念と、厳正に処罰しなければ、協会の体質が問われるという強迫観念と、

協会幹部の保身が、歪んだ形となって現れた事件で、

ギャンブルの弊害というよりも、日本相撲協会・NHK及び日本社会が、

賭博罪という 法の精神を理解していない悲劇だ。

 

 

3.そもそもギャンブルとは?

この項続く。

 

 

 

 

申告・任意の調査・任意の事情聴取には、

正直に申告すれば罪一等を減ずる、或いは罪の上限を設定するなど、

司法取引の要素があると考える。⇔自白

その目的は、野球賭博なら胴元を突き止めて逮捕するとか、

麻薬なら、売人を捕まえて、悪の根源を断つとか、

そのウラに潜む巨悪を網にかけることだ。

現行の判例では、その胴元(巨悪)でさえ、

公営ギャンブルを官が開催しているためか、

即懲役にはならず、執行猶予がつく。

まして、胴元ならぬ張り子が、任意の事情聴取を根拠として、

司法や警察よりも下位の組織から、厳罰処分されるというのは、今だに 納得できない。

 

日本相撲協会が賭博調査をした結果だが、憲法第38条で、

自白を強要されることはないのだから、正直に答える必要も無い。

かりか、みならず大麻の時(2008)八百長の時(2011)も、日本相撲協会は、

正直に答えた力士を守っていない(解雇追放した)という前科がある。

 

 

 

 

 

文責:野村龍司