家の前の路地

僕の家は、路地の奥にあって、 

自宅から奥が、隘路(あいろ:狭い道)になっている。

袋路(行き止まり)ではないが、歩行者・自転車・バイク以外、

通り抜け出来ない道路幅で、所謂二項道路だ。※1

車を、家に駐める際には、前進で路地に入って 、

一車長 通り過ぎてから、バックで家の前に入れていた。

ところが、隣家の前・僕の家の奥隣(一車長通り過ぎた時の後輪のキワ)に、

隣人が飲料自販機設置してからというものは、

路地にバックで入らないと従来通りの定位置に駐められなくなった。

しかも、自販機そのものではなくて、

自販機の下に、下駄の歯のように入れてある二本の架台が 邪魔をしているのだ。

車でバックするのは、約30メートル 。

こんな人通りの少ない所に、自販機を設置しても、

殆ど売れないだろうと思うのだが、

恐らく、隣人(京都人)のイケズだろう。

後輪の(わだち:トレッドライン)が、20センチ程 侵入するのが気に入らなかったのかもしれない。

などと、勝手に憶測していた。

この3年間程は、バックで路地に入ることを余儀なくされている。

女房は、当初しばしば、怨み言を言っていたが 、

「自分の土地を、どう利用しても(自販機設置は)自由ではないか」と僕は思うので、女房に

「コインを入れる所に、チューインガムを詰めるとか したら、どやっexclamation」と提案したりした 。

憲法第19条では、内心の自由を保障しているとされ、

行動に移さない限り何を考えていてもいいのだ。

自販機で、誰かが購入する音がすると、心の中で、舌打ちをした 。

我が家の全員、一度たりとも、その飲料自販機にお金を入れた事がない。

そうこうするうちに、女房も 、

路地をバックで入る事に習熟してから、何も言わなくなっていた。

そんな或る日、帰宅してみると、 自販機が無くなっている。

恐らく、売り上げよりも、消費電力の支出が大きかったのだろう。

「ざまあみやがれexclamation女房と二人で快哉を叫んだ。

以後、前進で帰宅出来る。

ちなみに、隣人はKさんといい、隣には住んでいなくて、隣町にいて、

当該隣地で、集合賃貸住宅(アパート)を経営している。

このごろは、自販機が無くなってからでも、僕も女房も、バックで入れる癖がついてしまっていた。

右側の白いブロック壁を背に、自販機があった。左側は墓地。街灯がLED照明になって明るくなった。

この路地は、大文字山の送り火を眺めるのに、ベストロケーションで、

毎年、8月16日の20:00前後、30分間だけは、

全長50メートルほどの路地が100人ぐらいで賑わう。

 

十津川警部」のロケの際には、ありし日の渡瀬恒彦が家の前を 、

何度か行ったり来たりしているのを、二階の窓から見ていた。

僕はこのとき、渡瀬氏の歩様が可変しいので、どこか病気なんだろうと思った。

 

15年前の事、息子がサッカーボールで遊んでいて、

路地前の墓地の墓石を真っ二つに割ってしまったことがあって、

墓地の管理人さんの所へ行って「石を割っちゃいました」と申告した。

桜の木を、面白半分に斧で伐り倒したジョージ・ワシントンは「正直者exclamation」と褒められたが、※2

僕は30万円(石の費用+旧い石から魂を抜いて その魂を新しい石に入れる費用)を払わされた。※3

 

 

 

※1 

幅員4m未満の二項道路であるから、現在の道路の中心線から、振り分けて2mは将来の道路となり、その部分に木を植えたり、門柱を立ててもいけない。

その分はセットバックしなければならないし、既存のものは仕方ないが、新たに構造物や建築物は設置できない。

従って、自販機も置いてはならないし、車の轍が入っても「いいのだ」と解釈できる。

※2 

「桜の樹」の伝説

ワシントンを崇拝する動きが、伝記での逸話の創造につながった。子供のとき桜の木を切ったことを父親に正直に話したら、かえって褒められたという挿話(ワシントンの斧 – George Washington’s axe)が流布しているが、これはワシントンの死後にマウントバーノン教区のパーソン(牧師)、メーソン・ロック・ウィームズが子供向けに書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』の中で、「嘘をついてはいけない」という教訓のために書いた作り話であるとも言われているが真偽は明らかでない。通説では、ワシントンが子供のころ、つまり1745年前後のアメリカ大陸には桜の木はなかったとされている。(ただし、原文は”English cherry-tree”)この話は初版から第四版まで掲載されず、1806年の第五版から掲載された。ウィームズはまた、ワシントンがバレーフォージの近くの森で祈りを続けたという話も作り上げた。ウィームズの経歴も「マウントバーノン教区」なるものは存在せず、事実であったかどうか疑わしい。>>>Wikipediaより

小学2年生の頃「ワシントンと桜の木」という題で「道徳」の教科書に載っていた。小学3年生の頃、実家の近く、僕は数人で墓場で遊んでいて、墓石を倒してしまった事があった。少し割れたのだが、子供の力では起こせない。父を呼びに行ったら、黙って直して、父には叱られなかったという記憶がある。何にも教条的なことは言われなかった。今から考えてみると、墓地は子供の遊び場としては、極く普通で、父にとっては、怪我がなくてよかったけど、二度と墓地で遊んではいけないなどと言う場面ではなかったのだろう。息子が墓石を真っ二つに割った時、もし僕が家に居たら、こっそり石を直して(見えない断面にコンクリートボンドを入れて)それで終わりにしていたと思う。

壌汚染では、土壌汚染浄化対策工事につき、都道府県知事による「指示措置」と自主による「自主対策」の2とおりがあるが、官は、いずれも結果報告をして欲しいと言っている。全国の土壌汚染の実態を把握する事が、この法律の目的でもあるからだ。しかし、正直に申告しないと罰せられるという規定はない。つまり「自主対策」の報告にインセンティブがないのが実態だと思う。その為に、土壌汚染状況調査は、国が指定する「指定調査機関」でないと、調査及び報告ができない。しかし、場合によっては、指定調査機関は国の指定を外されるという罰則があるが、正直に調査をしているかどうかを判定する方法は無い。さらに、第4条・第14条区域指定申請勧奨があって、その後適正に汚染が除去され「完了報告を受けて区域指定解除がされたあかつきには、従前の汚染の記録こそ残れ、汚染は初めからなかったことにする」というルールが布かれていて、それが正直に報告するインセンティブになっているという所に、制度設計の苦心が窺える。ジョージ・ワシントンの逸話として「嘘をついてはいけない」という教訓を広めようとしたのには、アメリカ合衆国がキリスト教を土台に理想の国家を作ろうとしたこと(ピューリタニズム)が、やはり窺える。おとなになってしまった僕は、今だに何故「嘘をついてはいけない」のか、そのウラには管理強化の意図があると考える。

 

※3

墓場で遊ぶ話では、室井滋の「キトキトの魚」(1993文春文庫)の最初の挿話が面白いので一読をお奨めする。室井の単行本はどれも面白くて、何回読んでも笑えるのが、この「墓褒め」の話だ。僕は室井と実家も年も近いので、これに出てくる墓地(長福寺)に心当たりがある。

 

 

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