令和天皇が即位した。
現在の皇室典範では、皇位継承権は男系男子にのみある。
過去の女性天皇はすべて男系女子であって、女系男子や女系女子が天皇になった例は無い。
生物学の遺伝子で言うと、日本の天皇制の場合、126代の内、女性天皇10代8人を除く116代は
全て初代神武天皇由来の共通のY遺伝子を持っている・・・ということになっている。※1
↑ヒト(染色体数2n=46)の性染色体と性決定様式の模式図
緑色の図はX染色体とY染色体。女性ではXX、男性ではXYの構成となる。
女性が作る卵子はX染色体と常染色体を持つ1種類(赤色の丸)であり、
男性が作る精子は常染色体の他にX染色体あるいはY染色体を持つもの2種類(青色の模式図)がある。
子供の性別はY染色体を持つ精子によって受精すれば男性に、
X染色体を持つ精子によって受精すれば女性になる。
23番目の遺伝子(性決定遺伝子)が受精した結果、XXなら女性となり、XYなら男性となって発現する。
つまり、萬世一系の正体は 神武天皇由来のY遺伝子ということになっている。※1
徳川15代は、軍事政権なので全員男系男子だが、初代家康と三代家光を除く13人全て側室の子だ。※2
徳川家の例で言えば、側室は町人の娘でも、男子を産めば御台所様であり、重要なのは (希釈されない)Y遺伝子だ。
また、大正天皇まで維持された側室制度(天皇の身の回りを世話する公家出身の女官)では、
徳川家大奥や大名家は側室を選ぶ際に美人を基準にしたのとは対照的に、
天皇家は女官(側室)を家柄重視で採用した。
この例に鑑みて、もし、男系男子に拘るのなら「側室制度の復活を考えるときだ」という声もある。
事実、明治此方1945年までは富国強兵、欧米列強に追いつけ追い越せの号令一下、
軍事政権だった為に、皇室は、徳川将軍家をモデルとした。
そして、香淳皇后が4人続けて親王(女子)を産んだ際(1931年3月)には、
華族たちから「皇后さまは女腹」と非難されて、側室制度の復活が本格的に検討された。
皇后も心労とプレッシャーに苦しむが、側室制度の復活は昭和天皇が人倫に反することはできないとして、これを拒否した。
(第4子厚子内親王の2年8ケ月後の昭和8年12月23日に第5子明仁親王が誕生)
日本国憲法では殊更、日本国民統合のシンボルとしての天皇制であるから、側室制度は人倫に反するということになる。
しかるに、
産経新聞より>>天皇陛下と、皇嗣(こうし)となられた秋篠宮殿下の次の世代の男性皇族は、秋篠宮殿下のご長男の悠仁さまお一方のみである。
これは皇統の危機と言ってよい状態だ。
古代から現代まで、一度の例外もなく貫かれてきた大原則は男系による継承である。
父方をさかのぼれば天皇を持つ皇族だけが皇位継承の資格がある。
この原則が非皇族による皇位の簒奪(さんだつ)を防ぎ、万世一系の皇統を守ってきた。
女系継承は別の王朝の創始に等しく、正統性や国民の尊崇の念が大きく傷つく。>>産経新聞
実際、息長氏(神功皇后他)や摂関政治時代の藤原氏や平清盛や徳川家や大谷家も、
これまで天皇家に輿入れして(女子を送り込んで)いるが、常に天皇家Y遺伝子を意識していた。
そして、男系男子に拘るのなら、
産経新聞より>>今も親族として皇室と交流のある旧宮家の皇籍復帰により、皇室の裾野を広げるよう検討してもらいたい。
皇族はそもそも一般国民とは異なる特別な地位にある。男女平等の原則にしても、伝統に支えられた天皇の本質を損なうことは、憲法上も許されない。
国会の譲位特例法の付帯決議が「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」と「女性宮家の創設等」を別の事柄と位置づけた点を強調しておきたい。
いわゆる女性宮家の創設は、安定継承にはつながらない。>>産経新聞
第107代後陽成天皇の男系子孫(12世孫)にあたる近衛文麿は 180センチの偉丈夫で人気があり、
一高⇒東京帝国大学哲学科⇒京都帝国大学法科大学と進んで、総理大臣を34代・38代・39代と努めたが、
GHQから、東京裁判の取調べの為にA級戦犯として出頭を命じられた際、前日に服毒自殺を遂げている。
近衛候もまた、天皇家Y遺伝子のストックであったと言える。
旧宮家の皇籍復帰プランといえば、最近では、東久邇信彦氏2019年3月20日(74歳没)と、
長男東久邇征彦氏(昭和48年生:崇光天皇の19世孫にして、明治天皇の玄孫)が注目されていた。
竹田恒泰氏(昭和50年生:崇光天皇の18世孫)も、天皇家Y遺伝子を持っている。
天皇家Y遺伝子の存続なら、究極の方法として、精子の冷凍保存や人工授精があり、受胎希望の女性はいくらでも居そうだ。
第26代継体天皇が、第15代応神天皇の5世であるとされ、126代の中では最大の隔世だが、
一応、神武天皇由来のY遺伝子は、続いているということになっている。
男系男子以外の者が皇位を簒奪しようとした例としては、弓削道鏡が挙げられる。宇佐八幡宮神託事件
足利義満も天皇になろうとしたフシがあるが、王Kingと帝Emperorは違うとして阻止された。※3
壬申の乱や南北朝の内乱も、Y遺伝子どうしのレジテマシーの争いであって、何方が勝っても 男系男子の原則は保たれる。
懸案の女系天皇論だが、世論は圧倒的に女系を支持している。
朝日新聞の最新の世論調査では、現状の皇室のでは、愛子さまが天皇になる事がないにもかかわらず、
女性天皇や母方だけに天皇の血をひく女系天皇を認めるのかと尋ねたところ、
女性天皇については76%、女系天皇は74%が、それぞれ認めてもよいと回答し、
また、今後の皇室の活動を維持するために、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」の創設については、
50%が賛成、37%が反対と答えている。
「容認」7割超、女性天皇も女系天皇も 朝日世論調査
https://www.asahi.com/articles/ASM4H42NFM4HUTIL00P.html
共同通信の最新の世論調査でも、皇室典範で「男系男子」に限るとした皇位継承を巡り、
女性天皇を認めることに賛成は79.6%で、反対の13.3%を大きく上回っている。
天皇陛下に「親しみ」82%
女性継承賛成79%、共同通信
https://this.kiji.is/496581864020624481
皇位継承権者3人のみ、女系天皇に保守派異論も 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/feature/20190501-OYT1T50246/
上の世論調査に答えた人たちは、本当に、女系天皇と女性天皇の違いを理解しているのだろうか?
冒頭の神武天皇由来のY遺伝子を理解しているのだろうか?
『記紀』の中で最も天皇家Y遺伝子を意識している感動的な話は、
市辺押歯皇子の二人の遺児(後の24代仁賢天皇・25代顕宗天皇)が、播磨国美嚢郡の志染の石室から見出される話だと思う。
皇位継承問題は、既存の基本原則に対して、現状の変更を政治家や政権が発言すること自体、
皇位継承(アンタッチャブル)に対する容喙であり、紫衣事件を想起させる。
以上、とりとめの無い文章を最後にまとめると、
朝日>毎日>日経>読売>産経の順で、女系天皇を容認しようという傾向がある。
男系男子という基本原則から、ぶれていないのは産経新聞のみだ。
126代の間にいろいろあったにせよ、いずれの度にも墨守されてきた基本原則は男系男子で、一貫しているのはY遺伝子だ。
上記近衛公や東久邇公のような天皇家Y遺伝子を持ったお方と、愛子内親王・眞子内親王・佳子内親王が結婚して頂くというのが
萬世一系をキープする究極の案。※4
僕は、それがだめなら、冷凍精子を使ってでも、基本原則は枉げない方がいいと思っている。
※1
ということになっているというのは、
「歴史の記録が、たとえ上書き保存されたものだったとしても」を省略した譲歩構文だ。
そのロジックは、証明できない事実よりも記録を採るという立場だ。
現在、生きとし生ける全ての生物は、一つ一つの遺伝子が、万世一系とも言える。
万世一系とは、神武天皇由来のY遺伝子が、連綿と繋がっているのだが、
仮にこれがX遺伝子やその他23対の他の遺伝子であれば、1世代経るごとに1/2に希釈されるので、
10世代で、遺伝子が残っている確率は、1/1,024、
20世代で、遺伝子が残っている確率は、1/1,048,576と、跡形も無く無くなっていくだろう。
元々、遺伝子が配位する場所は、22対44ケ所と、23対めの2ケ所の計46ケ所しかない。
23対46種の遺伝子の内Y遺伝子以外の全てが希釈されて行って、5代も経ると跡形も無く入れ替わる。
日本人は、幾世代経ても、確実に継承されるのはY遺伝子のみだという事を、喝破していたのだ。
※2
将軍を産んだ正室はお江の方(浅井長政とお市の三女:二代秀忠の正室)以外に居ない。
お江と秀忠の五女和子は第108代後水尾天皇(ごみのおてんのう)に嫁いで、109代明正天皇を産んでいる。
お江と秀忠の次女珠姫は、徳川家康の内孫であり、二代加賀藩主前田利常に嫁いで、三代加賀藩主前田光高を産んでいる。
徳川家から珠姫が輿入れしたことで、加賀藩・前田家・前田利常にとっても非常に重要な意味を持つことになる。
織田家と浅井長政の遺伝子は、市や江を経由して、天皇家にも徳川家にも前田家にも入っている。
※3
義満の時代に流行した『野馬台詩』は予言として知られており、天皇は100代で終わり、猿や犬が英雄を称した末に日本は滅ぶと解釈できる内容だった。
「百王説」と呼ばれる天皇が100代で終わるという終末思想は慈円の『愚管抄』などに記録されており、幅広く浸透していたことが推測できる。
また、中臣鎌足・弓削道鏡・平清盛・足利義満には皇胤説もある。
※4
第4子厚子内親王の2年8ケ月後の昭和8年12月23日に第5子明仁親王が誕生
明治天皇の正室には男子が無かったが、大正天皇は貞明皇后との子4人すべてが男子だった。
戦前、裕仁天皇の弟の直営家
・高松宮(1913年創設、2004年断絶)、
・秩父宮(1922年創設、1995年断絶)、
・三笠宮(1935年創設)
明仁天皇の弟の直営家
・常陸宮(1964年創設)
徳仁天皇 の弟の直営家
・秋篠宮(平成2年創設)の他に、
- 伏見宮(世襲親王家、1368年創設、1947年皇籍離脱)
- 桂宮(世襲親王家、1590年創設、1881年断絶)
- 有栖川宮(世襲親王家、1625年創設、1923年断絶)
- 閑院宮(世襲親王家、1718年創設、1947年皇籍離脱、1988年断絶)
- 山階宮(1864年創設、1947年皇籍離脱、1987年直系断絶)
- 小松宮(1867年創設、1914年断絶)
- 華頂宮(1868年創設、1924年断絶)
- 梨本宮(1868年創設、1947年皇籍離脱、1976年断絶)
- 北白川宮(1868年創設、1947年皇籍離脱)
- 久邇宮(1875年創設、1947年皇籍離脱)
- 賀陽宮(1900年5月8日創設、1947年皇籍離脱、1986年直系断絶)
- 東伏見宮(1903年1月31日創設、1947年皇籍離脱、1955年断絶)
- 竹田宮(1906年3月31日創設、1947年皇籍離脱)
- 朝香宮(1906年3月31日創設、1947年皇籍離脱)
- 東久邇宮(1906年11月3日創設、1947年皇籍離脱)
など、天皇家の男系男子(Y遺伝子ストック)は数多く居たのだが、GHQによる皇族解体に遭い、
直営家以外は1947年に皇籍離脱をした。
男子に恵まれないなどで断絶した宮家も多いが、皇籍離脱後直系断絶でなければ、その6家には天皇家の男系男子が居る。