「18.75%の奇跡」以来の競馬ネタです。

外れ馬券なんて紙クズは、
俺が買ったわけでもないのに、
因縁話がある。 以下、その因縁話の一部
京都
’84年
3回
4日
京都場内発売所 (淀競馬場)
第10レース
35年前の1984年4月29日
京都競馬、春開催の掉尾を飾る
最強ステイヤー(長距離馬)決定戦
春の天皇賞 3200m
一番人気はホリスキー 5才 (以下現代表記)
ホリスキーは3才時、京都コース3000メートルの菊花賞を、当時の世界レコード 3分5秒4で勝っていて、
その記録は、翌1983年の三冠馬ミスターシービーにも、翌々1984年の三冠馬シンボリルドルフにも破られる事無く、
また、前々年の春の天皇賞は、
一着モンテプリンス 5才 (モンテファストの全兄:両親が同じ)
二着アンバーシャダイ 4才
という人気処で決まっていて、連複380円
一着アンバーシャダイ 5才 (単勝1番人気)
二着ホリスキー 4才 (単勝2番人気)
と、やはり5才馬が勝って、人気通りの結着を見ていた。
過去を遡っても、春の天皇賞は、人気の通りに、入線して、 堅く収まるというムードに満ちていた。
その日のホリスキー 5才は、
前年二着(惜敗)の無念を雪ぐべく、万全の状態で出走してきたのは、パドックで分かった。
黒鹿毛の馬体がピカピカに光って、他馬を圧倒し、
厩務員以下スタッフが、 完璧に仕上げたようだ 。

怪物マルゼンスキー(8戦全勝)の初年度代表産駒として、後継種牡馬になる為には、
菊花賞のタイトルに加えて古馬最強・天皇賞馬という箔が、引退後の種付料にも大きく影響するので、
「どうしても勝ちたい!」というのが、ホリスキー陣営の総意であり、1.4倍という圧倒的単勝オッズは、
(∵控除率が25%として 50%<ホリスキー単勝支持率<54%)
中央競馬会は、人気が集中することが予想される馬を、
枠(ブラケット)に入れずに、単独で8枠のどれかに振り分けた。
ホリスキーは4枠の単枠指定だった。
単独枠に入れることで、競馬会として、不要なトラブルを避ける意図だが…
単枠指定をされた側の競馬ファン心理では、恰も、主催者が勝ちそうな馬を推奨しているように受けとれるのだった。
馬連・馬単や三連単という馬券がその頃は、未だ無い時代で、
枠連(連勝複式:連複)で買うのが、当時 競馬ファンの大勢である。
後で 思えば、万馬券の舞台装置は調っていた。
俺は、その時分・・・随分と競馬に凝っていて、単勝馬券以外買わなかった。
つまり、連複馬券を一切買わなくなっていたし、一番人気馬も滅相買わない。
まして、倍率2倍を切るような本命馬の単勝は、買わないという決め事を、自分に課していた。 (35年間 スタイル不変)
旅とギャンブル(冒険)は、単独行に限るという信念の下、独り 競馬場のゴール前付近で敗戦を確認し、
勝負事で負ける事こそ、日常でもあり、自分の購入した5着(ハヤテミグ)の単勝馬券を棄てようとしていたその時…
Kを含むスナックOscarの客で同年代のグループだと分かった。
騒ぎの原因は、冒頭馬券の通りだ。
1-7
5-7
7-8
と買って
さらに買い足して
2-7
6-7
まで押さえて
550キロの巨漢モンテファストが、遂に、京都3200メートルの古馬長距離レースの最高峰で、真価を発揮する時だ!という予想である。
2着 3枠 ⑥ミサキネバアー 1-1/4
3着 4枠 ⑦ホリスキー ハナ
突如、ステイヤー(長距離馬)の血が覚醒し、
「賢兄愚弟」の汚名を、やはり返上した⑮モンテファスト 6才(吉永正人)の快勝だった。
巨漢馬にありがちな足元の甘さが、解消され、
当日の天候が好転してきた事も、蹄が大きく大跳びのモンテファストに有利に働いた。
⑮モンテファストの最終単勝倍率は、前日の単勝倍率41倍から、当日6番人気14.1倍に躍進していた。


2着3着は長い写真判定の途中で、当の馬券を買ったKは、
「ホリスキーが2着だったら(4-7が)本線で当たっている」と、諦めが悪いことを言っている。

件の馬券が、当日の酒肴になったことは、言うまでもない。
後の戒めの為に、この馬券が俺の手元に置いてある。(↓因縁話2)
「きっと、このエッセイを書け」とが如く、、、。
中島みゆき「わかれうた」の替え歌
柵に掴まって 馬の名を~
呼び続けたことが ありますか
ひと事に云うほど 本命は ~
易しく来るものじゃ あ~りません ♪
(詞:K吉一郎)
俺
「ゴール前で、そないに でかい声で、叫ばいでも・・・ 来るもんは来るし、来ーへんもんは来ーへんぞ もうちと 静かにできひんのかい?」
K
「俺も、どやした(叫んだ)かて 馬が加速したりは せんと思うで ・・・せやけど、(たまたま結果的に)来たときは、どやしたから来たように思うねん」
