貴種流離譚

 

貴種流離譚 (きしゅりゅうりたん)とは※1英訳

 

「高貴の血脈に生まれ、本来ならば王子や王弟などの高い身分にあるべき者が

『忌子いみことして捨てられた双子の弟』

『王位継承を望まれない(あるいはできない)王子』などといった不幸の境遇に置かれ

しかし、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する」という話型

これら神話をモチーフにしたさまざまな派生・創作作品についても、

貴種流離譚と表現することがある。(譚=story,tale)

 

大塚英志は著書『物語の体操』で、以下のように定義している。

  1. 英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である。
  2. 予言によって、父親が子供の誕生を恐れる。彼の誕生には困難が伴う。
  3. 子供は、箱、かごなどに入れられて川に捨てられる。
  4. 子供は、動物とか身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物か 卑しい女によって養われる。
  5. 大人になって、子供は貴い血筋の両親を見出す。この再会の方法は、物語によってかなり異なる。
  6. 子供は、生みの父親に復讐する。
  7. 子供は認知され、最高の栄誉を受ける。

 

『古事記』で素戔嗚尊(スサノオ)は、

イザナギ(伊弉諾尊)とイザナミ (伊弉冉尊・伊邪那美命)の間に産まれ、

アマテラス(天照大神)・ツクヨミ(月読)・ヒルコ(蛯児)の次に生まれて、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治する。

『源氏物語 』の、「 須磨の帖」では光源氏が都から遠ざけられ須磨に配流となる。

『伊勢物語』にて、 東下りの段では昔男(在原業平)が都を去り東国に下る。「都鳥」など、、

 平清盛は、白河法皇の落胤という説がある。

 徳川八代将軍吉宗の天一坊事件

 藤原不比等(中臣鎌足の子で、藤原氏の始祖)は、天智天皇の胤という説がある。

 ちょいワル貴人の放蕩(Exile)という体裁では、

あばれん坊将軍」や「遠山の金さん」という時代劇の話型も一種、貴種流離譚だ。

ブッダは、シャカ族の王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、

人生の真実を追求しようと志して29歳で出家した

キリストは、『神の御姿であられる方なのに、

神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、

使える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、

死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われた。』新約聖書ピリピ人への手紙2:5-8より。

 

教祖流浪の末に大成するそれにつけても我が身の場合、、、となるのだが、

人は、生きていく上で様々な試練があるので、

艱難汝を玉となす・苦労屈託身の薬・Adversity makes a man.などと言い聞かせながら、

試練乗り越えるべく奮闘努力(男はつらいよ」の寅さんの主題歌)するということになる。

その際根拠のない自信(自分はできる子貴種なんだから

この試練には必ず打ち克つと言い聞かせる事)有効となる。

自分は、貴種だとか、最後に克つと言い聞かせる事に根拠は要らない

それは、チャレンジャー心の支えであり、心構えというものだ。

奮闘努力現実は、特に学問の場合王道がないのだから、貴種も賤種もない、

試練を克服し、流浪の果てに

海賊王に俺はなる!」(One Pieceルフィ)いいのだ

 

ころが実は 身分差別がなく、職業選択の自由、

職業選択肢のある現代日本のような社会は、

人類の長い歴史の中でも稀有な社会だと言える。

たとえば、弥生式稲作が東北地方まで拡伸して行って、

国の基本収入が年貢米になってからというものは、

国力=石高であり、農民=良民常民とされ、

農民は狭い耕作地に土着する以外に、生きる道はなかった時代

奈良時代の律令制下に、公地公民という制度が施かれて、

6才になると公地(耕作地)が与えられたが、

重税に耐えかねて、土地を捨てて逃げ出す者が絶えず、

貨幣や流通や情報網未発達の時代公地を与えられたは、

欧米でいう市民(citizen)というよりも農奴(serf)に近かった。

そもそも流離(exile)することさえ、簡単ではなかったが、

公地を捨てた公民は、貴族や寺社の荘園に逃げ込んだ。

公地を耕作する公民よりも、荘園農民の方が生活はマシだったし、

新田開拓のフロンティアは、開拓農民労働力を必要としていた。

彼らは関東などの荘園周辺で新田開拓をして、

やがて武士が興って、貴族から政権を奪う原動力となって行く。

 

大伴家持(万葉集の編者とされる)は、

奈良時代にあって、主流の藤原氏に対し傍流ではあるが、

筋目の正しい貴種で、流離することなく、越中・因幡・伊勢の国司を歴任した。

このころの国司は、徴税(年貢のとりたて)もさることながら、

冬の間に種籾まで食べ尽くした農民に、

種籾米栗を貸し付けたりするのが仕事だった。

(出挙:貸付金利は半年単利で100〜50%)

農民の試練は冷害・洪水・旱魃・重税、、、だっただろう。

 

家持

新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事  

(新しい年の初め、初春の今日降る雪のように、良い事もたくさん積もれ )

と詠って万葉集最後を〆ているが国司は祈ることも仕事だったのだ。

そういう時代にあっては、奮闘努力の方向現代と全く違う。

大伴家持というインテリにして貴種努力の方向歌詠みであり、

歌人として超一流、政治家としても中納言にまでなった。

もし、家持が歌を残していなかったら、数多の令外官の一人に過ぎず、

現代人が、その精神世界を垣間見ることも出来なかった。

歴史上の人物の精神世界は、現代の情報網・流通・貨幣経済・各種インフラの無い時代であるから、

時代背景彼らの世界観を抜きに、現代人の想像で安易に斟酌することができないということを改めて思う。

 

源氏物語」(世界最古の長編小説)が世に出る1008年まで、万葉集の最終句:いやしけ吉事(759)から降ること249年。

 

 

 

※1英訳

(1)Haruo Shirane(白根治夫 コロンビア大)は源氏物語の研究である”The Bridge of Dreams”(1987)の中で“Exile of the young noble”としている。
(2)Norma Field(日系米人 シカゴ大)もやはり源氏物語研究の”The Splendor of Longing in the Tale of Genji”(1992)の中で“tale about the wanderings of one of noble blood”としている。
(3)井上英明(明星大)は、東方学会誌”Acta Asiatica”89号(2005)所収の論文”The Truth in Patterns of Oral Tradition”の中で“Tales about the wanderings of people of high birth”としている。
(4)Hank Glassman(Haverford大)は”Approaching the Land of Bliss: Religious Praxis in the Cult of Amitabha”(2003)所収の論文”‘Show Me the Place Where My Mother Is!’: Chuujoohime and Pure Land Buddhism in Late Medieval Japan”の中で “the wayfaring of the fallen noble”としている。