稲塚権次郎

今月は、ノーベル賞月間だ。

稲塚権次郎いなづかごんじろう(1897〜1988)という人がいた。

現代人類に貢献した人であるにも関わらず、忘れられてしまいそうなので、僕が光をあてておく。

 

稲塚小麦多収穫品種(農林10号)を改良固定した。

富山県立農学校を首席卒業して、東京帝国大学農業科に学び、

水稲農林1号(多収穫品種)を開発した。

水稲農林1号は、後にコシヒカリ・ササニシキ・・・あきたこまち共通の先祖となる。

農林10号」は、1940年(昭和15年)に、稲塚権次郎が開発した小多収穫品種だ。

稲や麦は、風雨や台風で倒伏する被害が多発する。この品種は、日本在来品種の「白達磨」から由来する 背が低くなる遺伝子(半矮性遺伝子、Rht1,Rht2)を持ち、十分な養分を与えられても背丈が高くなりすぎないため、風雨に耐えて倒れにくく、多収になる利点を持つ。後世では、茎が短いことは収穫の機械化にも有利となった。一方で病害に弱く、日本国内では東北地方を除いて広くは普及しなかった。

この品種が注目を集めるきっかけになったのは、第二次世界大戦後のGHQによる遺伝資源収集である。アメリカ合衆国農業省天然資源局のS.C.サーモンが、日本において有用と考えられる品種の種子をアメリカ合衆国に持ち帰り、アメリカ合衆国の育種家はそれを用いた育種を行った。1961年には、小麦農林10号を親としたコムギ短稈多収品種ゲインズが育成された。

同時期のメキシコにおいても、後に国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)の主体となる研究グループによって、小麦農林10号を親とした育種が開始された。ノーマン・ボーローグらは小麦農林10号とメキシコ品種の交配から、草丈90~120cmのBevor14系の品種群を育成した。これら短稈多収品種は、インド・パキスタン・ネパールを始め世界各国で栽培されるようになり、コムギの生産性向上に大きな貢献を与えた。この現象は、後にの革命呼ばれることになり、ボーローグはこの功績により1970年にノーベル賞を受賞した。    以上wikiより

「農林10号」に改良を加えたボーローグはノーベル賞を貰ったが、

昭和の最後の年;1988年迄生きた稲塚権次郎は、ノーベル賞等の栄誉とは無縁だった。    

素晴らしいことに、小麦の収穫量増加曲線と、世界人口の増加曲線は、完全に一致する

恐らく、現世人類の殆どが、稲塚権次郎の恩恵を享けている