昆虫採集の夏

僕が子供だった昭和の時代

自然豊かな田舎で、水田に囲まれていたので、

田植えの前後など、蛙がうるさい程 鳴いた。

幼稚園や小学校に行くまでの間、水路沿いの幅3mの田んぼ道を500メートルも歩くと、

毎朝 ヘビがシュルシュルと百匹以上 前を横切った。

 

最初に川で遊んだ記憶は、家の前の川端でカワニナをとったり、

ガラス破片を水に浸けて、ドジョウを覗き込んだりしたことだ。

川には、ドジョウやカワニナのほかに

メダカ・ハヤ(オイカワ)・コイ・フナ・ナマズ・カメ・サワガニ、、、各種トンボがおり、

窪地の湧き水の清水(しょうず)には、ゲンゴロウやイモリ(アカハラ)がいた。

当時、理科の教科書には、ゲンゴロウやタガメやミジンコなどが、

身近な観察対象として載っていたので、それらは、都市近郊でも、珍しくなかったのだろう。

小学校も4年ぐらいになると、4~6月は鮒釣り(よくエサを食う繁殖期で、乗っこみ鮒と言う)

夏は虫採りに余念がなく、プール遊びよりも川遊びだった。

 

「夏は来ぬ」の情景は、僕の原風景に近い。

『夏は来ぬ』   (佐佐木信綱作詞)  ←クリックでyou tube 

  1. 卯の花の 匂う垣根に
    時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
    忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ
  2. さみだれの そそぐ山田に
    早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして  
    玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ
  3. 橘の 薫るのきばの
    窓近く 蛍飛びかい
    おこたり諌むる 夏は来ぬ
  4. 楝(おうち)ちる 川べの宿の
    門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
    夕月すずしき 夏は来ぬ
  5. 五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
    水鶏(くいな)鳴き 卯の花咲きて
    早苗植えわたす 夏は来ぬ

 

卯の花は、至る所に咲いていたし、桑やグミや木いちごの実が生る場所は、子供たちに共有されていた。

当然のように、少年は虫採り(クワガタ・カブトムシ採り)に夢中になった。

おこたり諌むる夏と言われても、40日もあったはずの夏休みは、

いつも、おこたり(外遊び)に勤しむ間に過ぎ去った。

 

テーマの昆虫採集だが、捕らえた虫を展翅して、

自由課題の宿題として提出という面倒なことは、一切やらず、

クワガタの♀・カブトムシの♀・コクワガタ♂♀は、子供なりの美学で、採らずに放置した。

ルリボシカミキリやオオゾウムシやハンミョウもコレクションの対象ではなかった。

ひたすら、クワガタの♂とカブトムシの♂を捕らえてきて、自作の巨大な虫籠に入れた。

 

これを買ってくれる業者もいて、結構な小遣いになった。

中3の夏まで しつこくやっている内に 気付いたら 同業他者がいなくなっていた。

宿題をほとんどおこたる(提出しない)子だったので、8月後期から9月初期は少々憂鬱だったが、

虫採りの夏は、実に幸せな少年時代で、僕はその時代の幸福感を一生の財産として、その後も生きている

 

虫採りで得たものは、

クワガタやカブトムシそのものよりも、

又、それを売った現金収入よりも、 

はるかに多く、すばらしいものだった。

それは、獲物の居そうな自然に分け入って得る副産物だ。(魚釣りで言うと外道:目的外の獲物)

 

植物(草・木・蔓、、、)

蛙・蜥蜴(トカゲ)・蛞蝓(ナメクジ)・蚯蚓(ミミズ)

蜘蛛(の巣)

蛾・蝶・蜻蛉

鳥・魚、、、

多様な色彩造形手触り

灼熱の日差し・木漏れ日・緑陰・涼風・川の流れ・泥濘(ぬかるみ)、、、

木登り・渡河・虫刺され・擦り傷・切り傷、、、、、の方から、はるかに多くを学んだ。

 

田舎の少年にとっては、自然教科書先生で、

虫は買うものではなく狩るものだった

 

 

現在、そのあたりは、かつての曲がりくねった小川不定形の田圃や畑やがなくなり、起伏は均らされて、

耕地整理された程良い(味気無い)田園風景や、宅地になっていて、、、

クワガタやカブトムシを採った木は 1本も残っていない

帰郷した際、それらの変化を、受け容れ難く、ノスタルジックになったり、

デラシネ(故郷喪失者)の「帰るところにあるまじや」という気分に浸ることさえある。