玉虫厨子 捨身飼虎図

平成玉虫厨子レプリカ(高山市 茶の湯美術館蔵)

前回に続く

カマキリセアカゴケグモの♂のように、

喜んで喰われるという例は、他にあるのでしょうか?

 

仏教説話答えがあります

法隆寺 玉虫厨子の右側面に「捨身飼虎(しゃしんしこ)の図が描かれています。

↑法隆寺玉虫厨子 右側面 捨身飼虎圖オリジナル

緑の部分は、タマムシの羽根を2mm四方に切って、漆で貼り付けてあります

平成玉虫厨子右側面捨身飼虎圖(しゃしんしこず)

飢えた虎の母子に、釈迦の前世の薩埵(サッタ)太子が我が身を与える絵説話

マカサッタ王子が2人の兄とともに山中に狩りに出かけ、7匹の仔を生んで親子共々餓死しかかっている虎に出会う。これを見た王子はこの虎を救おうと決意して、恐怖する兄たちを帰し、この絵の一番上に書かれているのは、自ら高所に登って着物を脱いで木の枝に掛け、真ん中の絵の所で虎の前に飛び降りている場面、そうして一番下の絵では、飢えた虎に食われている場面。この時天地は王子の行いに感動して鳴動賛嘆し、この王子は後に生まれかわってお釋迦さまになるという説話。

服を脱いで崖から身を投げ、虎が躊躇しているので、自らの首を掻き切って与えると、

虎の子もついに、手などに食らい付いています。

服を脱いで・崖から身を投げ・身体を与えるのは、同一人物で、

ここは異時同図法を採っています。

一つの絵に描くことで、時間経過とストーリーを表します

喜捨」「布施」「施餓鬼」を説いている筈です。

 

もうひとつ仏教絵説話 施身問偈圖(せしんもんげず) 

平成玉虫厨子 左側面施身問偈圖(せしんもんげず) 

施身問偈(雪山偈)図 絵説き

「施身問偈(せしんもんげ)」という説話は、雪山(ヒマラヤ)で修行をしていたバラモン僧が、あるとき山中で怖ろしい姿の羅刹に出会ったのだが、諸行無常 是生滅法の二句を唱えるのを聞いて、残りを是非聞きたいと願う。それを聞いたらお前は死ぬぞと羅刹に言われるのだが、もし聞くことが出来れば命は惜しくない、といい、残りの二句、生滅滅已 寂滅為楽を聞いて岩に書き付けて、こうしておけば後世の誰かが知るだろうと言って羅刹に命を与えようと崖の上から飛び降りる。所が実はこの羅刹は帝釈天であって、そのバラモンは釋迦の前世であった、というもの。

真理getできれば、死をも厭わずという求法精神です。

上記2点は、両方とも「本生圖(ほんじょうず)」。

すなわち釋迦の前世における善行の物語で、

法隆寺の玉虫厨子「捨身飼虎図」「施身問偈図」は、日本最古の絵説話です

 

しかし、生まれ変わるとか、前世、来世だとか、輪廻とかいうものは、

おそらく、インド人の発明した方便です。

輪廻は方便の一種です。

その一つの証拠には、

ダライ=ラマ14世

もし、中国共産党が、チベット文化や民族の伝統を認めて、華人化(という文化破壊)をやめるなら

活仏制度』を自分の代で終わりにしてもいいとまで言っています。

の発言こそ輪廻は方便であるという証左だと思います。

中国共産党のチベット侵略が、それほどまで苛斂誅求を極めているということをも意味し、

ダライ=ラマ14世は、中国共産党という身を投げ出したとも言えますが、

場面は明転(天地が感動して鳴動賛嘆したり、羅刹が帝釈天となって崖の下で受け止めてくれたり)することなく

中国共産党によるチベット文化の破壊や、ラマ僧の大量殺戮は、已みません。

 

 

肉体は遺伝子の伝達手段(vehicle)に過ぎず、そこに精神は存在しない

という前々回の遺伝子の話になると、唯物論になりますが、

果たして、上の「捨身飼虎図」「施身問偈図」は、唯物論ではなくそこに精神が存在することの

フォローになっているでしょうか。