霊芝と徐福伝説

3年前の夏、京都市右京区で、アーサー技建が土壌汚染対策工事を請け負った際に、

現場付近の公園のの木の根元で、霊芝・・レイシをみつけた

霊芝とは

霊芝は放射線の内部被曝対策として有効

 伝説の神農さん薬効があるかどうかを、嘗めてみて即座に判定したと云う。

古代中国では霊芝効能が特に誇大に信じられ、

発見者はこれを採取し皇帝に献上することが義務付けられていた

培養細胞や実験動物を用いた研究では抗癌作用、免疫賦活作用などが報告されている。

漢方薬の中では、栽培法が確立されているので 。

栽培は、むずかしくはない。

 日本では、医薬品として認められていなくて

 粉末にしたり、成分を抽出したりして、高価な健康食品として売っている。

 漢方薬は緩効性の(ゆっくり効く)ものが殆どで 、

薬効が顕著ではない

 だいたい不老長寿の妙薬というのは、そんなものだろう

 

種苗法では、菌類の拡大培養が、禁止されている。

つまり、買って来たキノコを、増やして売るのは、違法行為だが、

この様な、天然の菌株を、採取培養し、

アーサー霊芝として登録して売るのは合法である。

 

れはさておき wikiより

  紀元前三世紀
 「徐福」という人が、秦の始皇帝(紀元前259年 – 紀元前210年)に、
 「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、
  始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、

 「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったという。

同じく『史記』の「秦始皇帝本紀」に登場する徐福は、始皇帝に不死の薬を献上すると持ちかけ、援助を得たものの、

その後、始皇帝が現地に巡行したところ、実際には出港していなかった。そのため、改めて出立を命じたものの、

その帰路で始皇帝は崩御したという記述となっており、

不死の薬を名目に実際には出立せずに始皇帝から物品をせしめた詐欺師」として描かれている 。
・・・・徐福伝説

日本における伝承
青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が残されている
徐福ゆかりの地として、佐賀県佐賀市、三重県熊野市波田須町、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡市などが有名である。
徐福は、現在のいちき串木野市に上陸し、同市内にある冠嶽に自分の冠を奉納したことが、冠嶽神社の起源と言われる。
ちなみに冠嶽神社の末社に、蘇我馬子が建立したと言われるたばこ神社(大岩戸神社)があり、天然の葉たばこが自生している。
丹後半島にある新井崎神社に伝わる『新大明神口碑記』という古文書に、徐福の事が記されている。
徐福が上陸したと伝わる三重県熊野市波田須から2200年前の中国の硬貨である半両銭が発見されている。波田須駅1.5kmのところに徐福ノ宮があり、徐福が持参したと伝わるすり鉢をご神体としている。

  中国における伝承
  北宋の政治家・詩人である欧陽脩の『日本刀歌』には「其先徐福詐秦民 採藥淹留丱童老 百工五種與之居 至今器玩皆精巧」

 (日本人のである徐福は日本に薬を取りに行くと言って秦を騙し、その地に長らく留まり、

連れて行った少年少女たちと共にその地で老いた。連れて行った者の中には各種の技術者が居たため、

日本の道具は全て精巧な出来である)と言った内容で日本を説明する部分が存在する。

  朝鮮における伝承
  朝鮮半島で書かれた『海東諸国記』には、孝霊天皇の時に不老不死の薬を求めて日本の紀州に来て、

そして崇神天皇の時に死んで神となり、人々に祀られるとある。以上、wikiより

徐福が日本に向けて船の旅に出た目的の一つは 不老不死の霊薬とされる「霊芝」だった。

そして、 私もあなたも、徐福イミグランツの子孫かも知れない。

 

 

徐福イミグランツ

徐福の時代2300年前というと、1世代25年として、92代経ているので、2の92乗の数の先祖が居る筈ですが、

20代(500年)遡るだけ(戦国時代)で107万人となり、縄文時代の日本列島の推定人口30万~100万人を上回るので

たとえ、家系に同一人物が沢山いて、クロス(近親)が多かったとしても、

祖先に徐福移民がいるのは、必然のように思います。

第七代の孝霊天皇は、AD2~3世紀なので、上と時代が矛盾しますが、稲作や各種野菜が伝わった筈です

次回はクロス(近親)の話