今月は憲法月間なので、「押し付け憲法論」について

押し付け憲法論」について 、、、

憲法は、第96条に改憲が可能だと規定しているが、

過去71年間一度も改正されたことが無く常に解釈変更でお茶を濁してきた。

 

争に敗けて、進駐軍に占領されていた日本が、

主権を回復して、国際社会に復帰する条件として 、

アメリカが急ごしらえで作った憲法を受け入れ 、

東京裁判の判決を受け入れ、

いわゆる戦犯を処刑し 、

サンフランシスコ講和条約に調印するなど、   
 
 敗戦国としての「おとしまえ」をつけた事について、

感情的に収まらないからと言って、

いつまでも否定していては、国際社会が認めないという事、

現行の戦後国際秩序に対する挑戦であり、ムダな行為であるという事 の喩えを 、

雨月物語」の「白峯:しらみね」から引用するのが、木村草太 首都大学東京 教授だ。

憲法学者 木村草太は 、

まず、東京裁判がいかに事後法(以前には存在しない 平和に対する罪・人道に対する罪)で裁いた判決であっても、

米英だって、悪い事(鬼畜な行為)をしたではないか?という反証があったとしても、

都市空襲や原爆投下が、無辜の非戦闘員を標的としたもので、明らかに国際法違反であっても、

その事など、感情的に納得が行かなくていかに滔々と弁舌をふるっても

(木村教授は、橋下徹がそうだと指摘する)  
 
長引けば長引くほどに、醜いだけだと言う

つまり、敗戦国の「おとしまえ」の諸条件を受け容れた以上

国際合意に調印したことに対して、  スジが通っていないのだ。 
 
雨月物語」は、江戸時代後期の上田秋成の小説で、

夢応の鯉魚」が素晴らしいので、僕は何度も何度も繰り返して読んだ事がある。 

 

安永5年(1776)刊行 上田秋成「雨月物語」の挿絵・・・「崇徳院」と「西行」の論争

 さて「白峯」は、  次のようなストーリーだ。   

日本史上 最大最強の怨霊である「崇徳院(崇徳上皇)」の天皇陵が、讃岐にある白峯陵であるが、、、

かつての家来にして、北面の武士・・・佐藤憲清 改め西行・・・

出家して旅の歌人となった西行法師が、

旧主である崇徳院の菩提を弔うべく、その白峯陵を訪れ、鎮魂の経を唱える

すると、にわかに、成仏していない崇徳院の霊」が現れて、

怨みつらみを言いつのり、西行と、論争が始まる。 
 
保元の乱」で、崇徳上皇は、わが子を天皇にしようと画策するが、

謀叛であるとして、武力で成敗されて、都から遠く讃岐に流され、失意の内に、果てる。 

西行は、結果を見れば、謀叛に過ぎないと指摘する。

対して、「崇徳院の霊」は、西行がいかに言葉で理(ことわり)を尽くしても、

自分は、感情的に納得がいかない・・・『いかにせんと言う。 
 
  現に敗けた方が悪で、勝った方が正義だという結着をつけることが

戦の目的であり世の習いだとはいえ、一方的に断罪されることは、

敗者として、感情的に得心がいかないという事を、

西行とて、斟酌し難いわけではない。

そこは、大きく譲歩して、である。

歌人としても、天皇としても、ひとかどの人物であった崇徳院を知る者として、

あなたほどの人物なら、そのような感情的な拘りで、

怨みばかり抱くようなあさましい気持ちを、

きっと乗り越えることができるはずだと

かつての治天の君に、尊崇の念を籠めて諭すのだが、

かたや、 崇徳院は、中国の政道の古典を引きながら、反論する

二人・・・西行崇徳院の怨霊・・・の論争は、延々噛み合わない。

西行は、一晩中かけて、崇徳院の霊を鎮魂しようと試みる。

明け方になって、崇徳院の霊は、雲に乗って彼方に消えていくが、 

論争の結果崇徳院は鎮魂されたのかどうか、釈然としない結末で、終わる。

そこで、木村は、この小説から得られる暗示として、

背景に敗戦の屈辱の物語があることを指摘する。

木村は、憲法学者であるが、法理ではなく、文学にその答えのヒントを見い出すわけだ。

『いかにせん』の気持ちは、自らが乗り越えなくてはならないものだ、という。

スジが通らない議論は、スジが通らないと論難し、「押し付け憲法論を突き放さなければならない

日本ほどの国(人々)なら、スジの通らない議論に拘ってしまうような

浅ましい気持ちを乗り越えることができるはずだという。

「押し付け憲法論」者とのコミュニケーションを促している。

かつて、ルソーは、

近代戦争の目的とは相手国の憲法(領土を含む規定)を変更することにある喝破した。 
 
 けだし、 改憲論がタブーではなくなった今なら、

まず、憲法解釈の変更ではなく、

96条の改正でもなく、

正面から憲法を改正することが、

いかにせん』の気持ちを日本人自らが乗り越えることではないか?